改名に際していまの生活スタイルについて考えたり、
はたまた友人でコレクティブハウスに関心のあるひとと話たりして、
ソーシャルアパートメント(ぼくにとっては固有名詞というより「シェアハウス」と同列の、居住スタイル概念を示す言葉という感覚があるので、そういうニュアンスで以下使います)がもたらしてくれるものは何なのか、というところについて書きたいと思います。
<まずはソーシャルアパートメントってなんぞというところの説明>
ここ最近で居住空間を共有するということの認知率はかなり高まってきていますが、みなさんの中で「ルームシェア」や「シェアハウス」と、「ソーシャルアパートメント」を区別している方はそんなに多くないんじゃないかと思ったので、まずはご紹介から。
「ワンルーム+αという発想」
ソーシャルアパートメントは、従来のマンションと違いプライバシーがしっかり確保された従来通りのワンルームに加えて、入居者同士が集まれるラグジュアリーな共用ラウンジがあり、従来のワンルームでは絶対に実現できない暮らしを提供しています。
というところで、ルームシェアやシェアハウスとは異なる居住スタイルなんですよ。
まずはソーシャルアパートメントのHPやぼくも住まわせてもらっているコレクティブレジデンス菊名(旧名ソーシャルアパートメント菊名)のHPをご覧いただいて、イメージを膨らませるのが早いかと思います。
<居住空間を共有することのメリット>
ルームシェア、シェアハウス、ソーシャルアパートメント、3つどれも共通してのポイントはやっぱり「常に誰かがいる」ということ。
こうやって書くと若干オカルトチックな響きになってしまいますが、要はいつでも話し相手がいるということであり、誰かの会話が聴こえるということ。
働き始めて1ヶ月くらいした頃、同じく住人の@kanchan_rと、「一人暮らししてたらまじで精神的にきつかったよね」とよく話していたけれど、これは今も変わらず実感していることです。
毎晩22時~0時の間に帰ってきて本当はすぐにでもベッドインしたいんだけど、ラウンジスペースに行けば誰かがいるからふらっと寄って他愛もないことを話す。
この時間がなかったら頑張れなかったと思う。
「ただいまー」って言って、「おかえりー」って返してくれるひとがいるのは本当にいいもんです。
6月の初旬頃、予定のない日曜日にたまたま3,4人がラウンジにいたときがありました。
ちょっとオシャレな曲を流しながら、つつましげな和食4品くらいを出し合ってのんびり食べるお昼には、ほっこりとした幸せを感じたりして、これもまた「常に誰かがいる」からこそできることなのかもと思ったり。
こういう「普通の日常がほっこりと幸せ」みたいな感覚については、つい最近@harunaさんが書いていたふたつめの家。という記事の中でも感じたことでした。
授業終わってへとへとになって家に帰って、おかえりー、とか言われて、あーおなかすいた、とか今日まじで大変でさあああ、とか言いながらごはんをつくって食べるとか、明日洗濯したいんだけどなんか洗っとくものあったら出しといてとか、今日安くてナタデココゼリー買っちゃったから一個食べていいよ、とか、そういう感じです。
<ソーシャルアパートメントがほかのシェアスタイルと違うこと>
単純にソーシャルアパートメントというのはその名の通りアパートなんですよね。
だから住んでいる人数が違っていて、菊名は50世帯が入ります。
この世帯数を利用してソーシャルアパートメントが提供している特徴的なスタイルが、「ラグジュアリーなライフスタイル」です。
HP見てもらえるとわかると思いますが、キレイで広いラウンジスペース、同じく広くてキレイかつハイスペックなキッチンは、ほかのルームシェアやシェアハウスでは真似できません。
もし50世帯半分の25人が1万円ずつ出資すれば25万円にもなりますから、新しいものを購入することも手軽にできたり(菊名で共同購入したのはたぶんまだたこ焼き器くらいですが・・・w)します。
デフォルト設備のハイスペックぶりが実現しているのは結局この原理。
節約することに目が行きがちなシェアスタイルですが、ソーシャルアパートメントは「安く良い環境を作る」っていうところを大切にしているイメージです。
<最後に>
ぼくがソーシャルアパートメントに住んでみて感じているキーワードは、「ひとの温かさ」とか「賢い消費」。まだ試したことのないひとには是非一度体験していただきたいライフスタイルです!
次はソーシャルアパートメントという居住スタイルでこんなことしたら面白いんじゃないかというアイデアを殴り書きしようと思います。
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