2013年3月24日日曜日

新人社内教育で気をつけるべきこと

先週、去年からベンチャーに新卒入社した友人と話をしたときに、「教えてもらえることって少ないよね」という話題になった。

その彼は元々、「ベンチャーで成長してすぐ辞めてやる」くらいの勢いのある人だったのだけど、いざ働き始めてみてもっと時間かかるなというのが実感としてあるという。何も知らない作業をいきなりやれと言われて泣きそうになった、とも言っていた。ぼくの場合、教えてもないことをやらされる、ということはあまりないのだけど、教えてもらえる職場という意識はあまりない。

で、新人に対する社内教育というものを考えてみたとき、大きく3つに分けられるのではないかと思った。
  1. 作業前のインストラクション(友人の会社でスキップされてる教育)
  2. 作業後のダメ出し
  3. 作業後のほめ
1は小さい会社ではよくスキップされ、大きな会社では逆に十分すぎるほど与えられそうな部分。スキップされるのも大変だとは思うが、一時的なものなので重要度としてはあまり高くないと思っている(ただ、会社全体を組織的に良くしていくなら、この時点で細かくインストしてあげると全体の底上げに繋がることは間違いないと思う)。
問題は、2,3だ。ぼくもまだ2社しか体験していないのでなんとも言えないが、感覚的にはうまく機能していないことが多いと思っている。機能していないというのは、新人がうまく育ってないのではないか、ということだ。なので今日は、この2,3の行為について新人をよりうまく育てるにはどうしたらよいだろうかという視点で、自分の考えを書いてみたい。

転ばぬ先の杖的に書いておくと、そのような欠陥のある社内教育環境だから、自分の不出来を許しても良い、ということを言いたいわけではない。もし実際に自分がもっと教えてもらいたいなと思っても、自分がその環境にいる以上、その中でどうやってレベルアップしていくかをそれぞれ個人が考えるしかない。が、ぼくは自分が先輩の立場、上司の立場になったとしたときに、今のような社内教育環境にしてしまってはもったいないと思っている。もっと新人が伸びる環境があるのではなか、そのためにはどうしたら良いのだろうか、という意図で社内教育について考えているということ。ぼくが今から書くことは一人前の社会人にとっては甘えだけれど、新人にとってはその限りではないはず。世の中マッチョな新人ばかりではないし、そういうマッチョでない人をどうやって伸ばしてあげるかを考えることも、会社としては必要なことのはず。


さて、まとめてみる。

  • ダメ出しをする際は、1点のミスでその背景にあるもの全てを否定しないこと
  • ダメ出しだけのネガティブフィードバックで終わらせず、小さなことでも良かった点を伝えて、ポジティブフィードバックも返しますよ、という意志表示をすること
  • 成果が出ていなくても、改善努力が伺えたらまずその努力していた事実を評価してあげること

ダメ出しをする際は、1点のミスでその背景にあるもの全てを否定しないこと
一番上に書いた割に一番伝わりにくい気もするが、一番大事なことだと思っているので初めに伝えたい。
例えば、「こういうときはこうしてね」と、根幹のルール的なものを新人に説明したとする。そして結果を見てみたら一箇所そのルールに沿えていないところがあったとする。このときそのミスについてどう言及すればよいだろうか。
ここで「さっきこういうときはこうしてねって言ったじゃん。気をつけてよ。」というのはNG、だとぼくは思う。1つしか間違っていなかったということは、裏を返せばその他は全て正しかったということ。こちらが教えていたルールを新人は理解して、実践しようとしていたということになる。なので、上記のように「さっきこう言ったよね?」という風なダメ出しをすると、新人としては「そのルールに沿うように気をつけていたし、そこ以外はできてるじゃん」となってしまう。つまり出来ていることは評価されずダメなところばかり指摘されたような気分になるのだ(下段落に関係)。また、上司としてもそのミスの本質を見逃している。
ここで修正すべきことは、ルールを適用させる箇所が抜けていたこと、厳格に適用させる部分の欠陥だ。なので根幹の部分ができないわボケというコメントは生産的ではなく、ここでは再確認の必要性や失念を防ぐための工夫をするように促すことだと思う。


ダメ出しだけのネガティブフィードバックで終わらせず、小さなことでも良かった点を伝えて、ポジティブフィードバックも返しますよ、という意志表示をすること
甘えだというヤジだ飛んできそうだけど、これも必要なことだと思う。ダメ出しばかりされてると人間やはり卑屈になってしまうものだ。少しでもいいからポジティブなコメントを返してあげることで、新人としては「ちゃんと見てもらえてる感」を持てると思う。ダメなところは嫌でも目につくのでコメントしやすいが、良いところを見つけてコメントしてあげることは意識しないと意外と難しい。ダメなところしかない人はそうそういないはずなので、ちょっとほめすぎかも?くらいでいるとよいかも。


成果が出ていなくても、改善努力が伺えたらまずその努力していた事実を評価してあげること
これは結果の前にまず過程・姿勢を評価してあげようということ。例えば、新人が致命的な間違いをしたとする。根幹部分の理解ができていないということがわかったと。その指摘をした後、完全に改善ができるまでにはある程度の時間を要するが、その途中でも「少しずつ良くなってるね」のように、ポジティブフィードバックを返してあげようということ。そうしないと、新人が自分はうまく改善できているのかの進捗がわからないし、何より自分の努力が報われないように感じてしまう。新人だって口には出さなくても色々と試行錯誤しているものである。結果しか評価しないということは、新人のそういう頑張りを無下に否定しているということになるので、その姿勢を認めてあげた上で、その努力の方向性で良いのか変更すべきなのかを伝えればよい。もちろん、本来は成果があってはじめて評価されるべきものなのだけど、新人にいきなりそのスタンスで望むとたぶん挫折する人も多い。


以上。

この考えを別の友人に話をしたところ、「そうやってほめてあげないとモチベーション出ないなんて、そもそもダメじゃね?」という意見が返ってきた。ぼくはそうは思わない。モチベーションはタネと水がそろってはじめて育っていくものだと思うから。モチベーションのタネを持っていて最初はやる気のある人でも、ずっと砂漠に放置されていては出る芽も出ない。タネを持っている人がいたらちゃんと水を与えてあげることが大事。もちろん、働き始めて何年も経っている人に対してはその必要はないが、まだ右も左もわからず、一人立ちも出来ていない新人にはしっかりと水をあげ、一人前になったあとに、成果主義の厳しい世の中を体験させた方が良いのではないだろうか。そうしないと本当にマッチョな人(=水がなくても育つタネをもった人)しか育たなくなってしまうと思う。

甘いと思う人も多いだろうが、学生の時に遅刻してた人が社会に出てからも遅刻するわけではないのと同じように、新人の頃に手厚くケアしてあげたからといって、一人前になっても自分でメンタルをケアできない人になるわけではない。「自分で頑張れば評価されるし結果も出せるようになる」という意識とその体験が、後々踏ん張れる人間を作るのではないだろうか。