デザイナーでもないのにデザインにかぶれているメガネです。
さて、会社でもデザインについての雑談を多くするようになりました。今までは見ても手に取りもしなかったAXIS(職場に届く)も、佐藤オオキさんが表紙の2013年9月号くらいから行ったり来たり読んでみたりし始めました。花展に行ってみたり、東京デザイナーズウィークに行ってみたりしました。自分の身の回りのプロダクトが「なぜこのデザインなのだろう?」とふと考えるようになったりました。
さて、そんな中で先輩よりおすすめされたのが山中俊治さんのブログ。いくつかピックしてもらったのですが、中でも私は下記が好きです。山中さんがデザインされている義足を例に、デザインに対する考え方をお書きになっています。
「失われたものの補完を超えて」-山中俊治の「デザインの骨格」
http://lleedd.com/blog/2011/11/14/new_prosthetic_leg/
今、私たちは、違う道を模索しています。見てもわかる通り、本物の足にはまったく似ていません。人工素材で作られる機能的な人体としての、人工的な美しさを目指しました。一方、左右のバランスをとるためにシルエットとしては人体を引用しています。人の体にはリズミカルな「反り」があるので、カーブしたパイプを使っています。ふくらはぎの部分の白い着脱式アタッチメントは、パンツをはいたときに足の形を自然に見せるためのパッドのようなもので、これも運動機能には全く寄与しないのですが、足の形をきれいに見せるための重要なパーツです。
義足のデザインは、金属そのままの義足と、人間の足に似せたコスメチック義足というものがあるそうです。失くした足の替りということでコスメチック義足が生まれたそうなのですが、結局金属のものを装着している人も多いのだとか。そんな中で、山中さんがデザインされている義足は人工感丸出しの方向性を目指しているわけですね。
私はこれ、今までも起きて来ていることだと思っているんです。完全なる置換によって時代は作られていない。新しい技術が普及するのは、表面的なギミックに惑わされないデザインが施されたときだと感じています。
たとえば、文字入力を考えてみます。はるか昔、文字入力のインターフェイスは様々でした。粘土板、パピルス、羊皮紙、貝多羅葉、木簡・竹簡、絹帛。そして、唐の時代に中国で紙の原型となるものが発明され、各国に伝播・普及・改良が進んでいきました。そして現在、コンピューターが普及し、ポケベル、PHSが普及して廃れ、携帯電話が普及し、スマートフォンが全盛期を迎えています。紙が生まれるまでの製品の進歩は、文字を書く人の行動に非常に忠実であったでしょうから、そこまで開発中に摩擦もなかったと思います。常に書くもの(something to write with)と書かれるもの(something to write on)という関係性や、書くものを手に握って動かして文字を書くという行動にも、変化が要求されなかったからです。しかし、紙というアナログインターフェイスからデジタルインターフェイスに変わる間には大きな壁があったはずです。(技術的な問題の勘案も含めてだとは思いますが)アナログからデジタルに変わった一番初めのデバイスも、現在デジタル文字入力として世に普及している方式も、書くものを使って書かれるものに文字を書く、という行為とは、似ても似つかないからです。それでも、普及したんですよね、デジタルインターフェイスは。そしてデジタルが到来してしばらく経ち、ようやく、デジタル入力にも書くものと書かれるものの関係性が専門的な人たちの間(マンガ家など)で復活し始め、今日ではスタイラスなども一般化し、使う人も少しずつ増えています。
文字入力は書くもので書かれるものに文字を書くという行動様式を真似ること、紙というアナログのインターフェイスに似せたCMFにすることを追求した結果、デジタルでの文字入力が普及したわけではないのです。たとえ今までの様式と異なっていたとしても、その行為を取り巻く環境では不可能であったことで、人々が潜在的にウォンツとして持っていたことを実現し、その行為の本質をしっかりとらえていたからこそ、デジタル文字入力は普及していったと思うのです。
もし、文字入力は書くものと書かれるものという関係性によって成り立つべきだ、と当時の人が考えてしまっていたら、携帯端末での文字入力は生まれていなかったかもしれません。その行動様式は表面的なものであって文字入力の本質では少なくともなかったと私は思いますし、その表面的な様式を完全に置換する技術も当時なかったわけです。
これからも、どんどんアナログがデジタルに置き換わり、有機物が人工物に置き換わっていくと思います。もちろんアナログや有機物であるからこその良さを大切にしていく気持ちは大事だと思いますし、そういう方向性を志向する人はいると思います。ですが規模の経済という点でも、時代時代によってトレンドになるものはあると思いますし、それはますますデジタルとアナログ、有機と無機の融合による産物だと思います。世の企業もそうやってお金を儲けたいと思っているでしょう。そのトレンドにあってもまだアナログなもの、昔と形を変えないものがあるとしたら、それはまだデジタルが表面的な様式にこだわりすぎたギミックであって、本質を突いていないのだと思います(一度転換したあとには、技術も発展し行動様式もそのままにした置換が起きるかもしれませんが)。
その本質を見つけて突くというのが最大の難関なわけですが、少なくとも、表面的なものに惑わされないようにというスタンスを持つことは努力次第でできます。その意識を自分で持ち、周りの人たちに伝えていくことで、ギミックを志向しない空気を作っていくことが重要ではないかと思います。
とは言いつつも、義足の本質について自分でも整理したいところですね(インタビューしたい)。
最後に、、、山中さんのデザインされている義足、かっこいい。