デザインをもたらすもの
ぼくが感じているのは『デザイン=ロジック』という式だ。ぼくがここで言うデザインには、機能的なデザインも意匠的デザインも含まれている。つまりアートというものを含めたデザインと定義しても、デザイン=ロジックだと思うのだ。なぜならデザインには必ずその目的があるはずだからだ。"この目的を達成するためにここはこうなっている"というのがデザインということ。このことを"デザイナーなりの意図・意味が含まれていて、筋が通っている"という点で、ロジックと表現しているのだけど、このロジックには2種類あって、その1種類がぼくら(少なくともぼく)を勘違いさせる(またはさせてきた)。だれでも思いつくロジックと、そうでないロジックである。
つまりこういうことだ。10人のデザイナーに、"こういう人に向けて、こういう商品/芸術作品を作りたい。デザイン案を10つ出してくれ”と依頼したとしよう。10人のデザイナーが”こういうことを伝えたい"と10人が10人同じことを思った、としてもよい。そうするとそれぞれのデザイナーの考えるデザインのうち半分程度は同じようなデザインとなり、残りの半分がほかデザイナーが考えなかったデザイン案になる。これがだれでも思いつくロジックとそうでないロジックによる結果である。では、だれでも思いつかないロジックとは何なのか。それが個々の価値観であったり、センスであったり、今までの経験であったりするのだと思っている。
良いデザインとは何か
デザインには必ずその目的がある。つまりデザインの必然性が存在するということだ。デザイナーは"ここがこうでなければならない理由"というものを積んでいくのである。しかしながら、すべてに必然性を見繕うことはとてもむずかしいし、基本的な考え方としてベストプラクティスがある部分以外のところは、個々のロジックによって決まっていく。個々のロジック、すなわち価値観・センス・経験というものによって、考えつくデザイン案が違う、もしくは同じデザイン案を一度は考えついたとしても、最終的に選ぶデザイン案が異なる、ということが発生する。この個々のロジックが、その時代時代の消費者に理解される、またはデザイナーであればいつの時代も理解され続ける、そういうデザインが良いデザインなのだと思う。
とあるファッションデザイナーさんとお話をしたときに、彼はこう言っていた。「デザインは哲学だ。哲学のないデザインはどんなに美しくても糞だ。」「デザインは美しくなければならない。どんなに哲学がこもったデザインでも、美しくなければ糞だ。」ここで言う"哲学"というのは、"デザインをする目的"だとぼくは理解している。だからデザイナーとして哲学は誰しもが持っていると思っている。ただ、"美しい"というものは、たとえ"美しいデザイン"を目指そうとしたところで、必ず美しくなるとは思えず、ここが個々のロジックに相当する部分であろう。
良いデザイナーになれるか
だから聞いてみた。どうやったら美しくデザインできるのですか、と。彼はこう言った。「たとえばあそこの灯りがあるだろ。あれを見て灯りがあるとしか思わない人と、綺麗な灯りだと思う人がいるんだ。そういうことだ。」「人は生きていれば色々なモノを見るだろ。自分が見てきたモノによって、デザインされる美しさは決まるんだよ。」なるほど、美しいモノをたくさん見て触れてきたかどうか、自分の日常生活の中で、小さなことでも美しいと感じられるだけの感受性があるかどうか、というところが美しいデザインが出来るか、より良いデザインができるかに繋がっていくのだろう。つまり、このファッションデザイナーさんが言うには、個々のロジックは後天的に磨くことができるということだ。一方で、デザイナーになりきれなかった(と言われている)人も周りにはチラホラいる。少なからずセンスのいる分野なのだろう、残念ながら。
デザインはロジックである、という考えから応用できること
今回のデザインはロジックである、という考えは、資料を一つ作るにしても非常に有用だ。なぜこのオブジェクトは丸ではなく四角なのか。なぜここは16ptなのにここは14ptなのか。なぜここの列だけ灰色になっているのか。なぜこの列を一番左にしたのか。こういうロジックを考えながら作られた資料と、そうでない資料は一目瞭然である。考えられた資料の方が当然読みやすいし、使いやすい。それができていないので、ぼくも毎日指摘される(これこの順番に意味ある?これこういう風に並んでる?など)。
その他にも応用先は無限大である。というか、最近は何でも"○○デザイン"と言われることからも分かるように、デザイン活動というのはこの世の中のほぼすべての活動のことを指していると言っても過言ではないと思う。いきなりそんな壮大なことを言うのは避けて先ほどの資料作成に近しい話からすると、例えばユーザビリティであったり、生産管理であったり、店舗改善であったり、というところは人間工学視点でかなり共通するスキルが求められると思われる。人間の目線や認知という問題を主に扱うからだ。そこから広げてしまえば、すべてのプロダクト・サービス開発はつまりプロダクトデザインであり、サービスデザインであって、デザイン活動なので、必然性を積み上げていく活動に他ならないわけである。
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そんなわけで、デザインというのは非常に頭を酷使する活動であり、考えに考えつくされた理路整然とした感じが堪らなくカッコイイな、と日々思っているわけでありまして、デザインの起源、アールデコ、アールヌーヴォ、バウハウス、そこら辺のことを調べるようになり、ますますデザインというものに魅了されているのでした。デザイナーさんはカッコイイなぁ。
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