2011年9月20日火曜日

帰る場所

それはぼくにとって浜松。
小学校1年生から高校3年生まで。

大学の4年間は横浜で育った場所ではあるけど、そこは帰る場所じゃない。
そんな気がする。


そんな浜松にたまに帰ってきます。
新しいお店ができていたり、昔よく使っていたお店がつぶれていたり。
新しい家が建っていたり、だれかの家がなくなっていたり。
「ここよく行ったねぇ。」と車を運転しながら話すのだけれど。

過去の記憶をなぞるという体験はなかなかいいものですよね。
手をつないでる地元の高校生カップルとか見ると、
異様に懐かしさを感じたりして。

それから、実家に帰る度に車っていいなぁって思う。
自分の大切なひとたちだけの空間で、コミュニケーションが生まれる場所で、
そのときにかけていた曲とか何の車に乗っていたとか、車と結びついた記憶が思い出される場所。

家の中では、「昔あんたはこういう子だっただよ~。」なんてよく言われたりもする。
今回はぼくが幼稚園のときのお絵描きしたものなんかが押し入れから出てきて、余計昔話に花が咲いた。
もちろんこれからの話もする。

ちなみに、単身赴任中の父にとっても帰る場所になっているようで、
浜松にあるこの家に帰ってきて庭の手入れをすることがリフレッシュになっていると、母が言っていた。

2年後、母もこの浜松を離れて父の赴任先へ行くそうなのですが、この家を空き家にしてしまっても、誰かほかの人に貸すとかは考えていないみたい。


「帰る場所」ってなんだろう。

マイホームのある場所?
放っておけば、住宅そのものの価値はなくなり、
価値のあるものは敷地だけになるそうだ。
それでもここにマイホームを建てたのはなぜなんだろう。
借家ではだめだったのか。


長く住んで過去の思い出をつまっている場所?
昔通った小学校や、中学校、高校がある地元。
過去の記憶を振り返る事が出来る場所がやはり帰る場所なのだろうか。


家族のいる場所?
どんな場所であれ、おかえりと言って、ただいまと言ってくれる家族。
いつまでも自分のことを心配してくれる家族。
昔話をみんなでしてくれる、自分を育ててくれた家族のいる場所こそが帰る場所なのだろうか。


マイホームを建てて、代わりに懸命に働くような人生はあまり魅力に感じていないのだけれど、やっぱり子どものことを考えると、ある程度定住した方がいいのかなぁと、浜松に帰る度に思う。


でも、「家族のいる場所」が帰る場所なのであれば定住する必要はなさそうだし、「思い出の詰まっている場所」にしても、たとえ毎年家族で生活する場所があれば、その条件は満たされる気がしています。


さてはて、みなさんにとって「帰る場所」ってなんですか?
みなさんにとって必要なものですか?

ちらほら「ノマド」という言葉を目にするので、
その反対語としてちょっと考えてみたいなと思っています。

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