2012年4月30日月曜日

記憶に残っている、良書だと思う本28冊

なんとなくブクログを振り返っていて、良書だったと思うものをまとめてみました。 ブクログはじめる前に読んだ数々の本たちはほとんど忘れ去られてしまっているのでここ数年、特にここ1年に偏っているのですが、なにかしら読む価値はあるとおもいます!



トーマス フリードマン
日本経済新聞出版社
発売日:2008-01-19





トーマス フリードマン
日本経済新聞出版社
発売日:2008-01-19

・これが2005年に出版されたというのが衝撃だし、2000年問題のときにこんな大規模なアウトソーシングが行われていたことも衝撃。

・この本の中で起こっていることが、実際に起きていることを働き始めて強く実感している。世界規模だけでなく国内でも、産業構造の変化がテクノロジーによって起きていて、常にテクノロジーの進捗を見て、将来起こり得る変化の可能性を予測していないと、気づいたときに遅いってことが本当に起こってしまう。

・自分視点でも、会社視点でも、事例を交えながら読むことで腹落ちする部分はあります。


・ちなみに上巻のほうが面白いですね。上下巻の本にありがちですが。








え?っと思う発言やデータもあるけど、基本的には日本の子どもを育てることに対する補助がどれだけ少ないかがわかる良書だと思います。

金銭的な問題だけじゃなく、子どものやる気や努力などの研究についても言及しているところが信頼おけました。

自分の中で今一度中身を整理しておきたいです。




3.11が起きたこのタイミングで読むことになったのは何かの縁なのだろうか。原子炉が引き起こす災難がどれほどひどいものなのか、人間の力がどれだけ小さいのか、身に染みる。

原子炉に限らず、世の中には思いも寄らない事件が起きる。
そういった不確実性に対して自分自身がどうやって向き合いくのか、対処の仕組みとしてどういった枠組みがいいのか、考えなければいけないと思う。




ヨーロッパ、殊イギリスの発展のウラ事情が書かれている本。歴史を紐解いてみると、いまの世界の形とその起源のギャップに驚かされる。
・海賊が王家と密接に繋がっていたこと
・略奪と貿易という2つの機能を海賊が果たしていたこと
・スパイス、コーヒー、お茶、砂糖と黒人奴隷、という貿易の大きな流れがあったのがメインの学び。

そこから派生して、
・奴隷貿易を含めた貿易でも受けたお金から、蒸気機関を発明したワットへの投資となっていた可能性というのは、今後の世界の動きというところで見ると、考えておかないといけないテーマだと思う。

・スパイス、コーヒー、お茶、砂糖と黒人奴隷、のどれもが、先進国ではない国々に起源があるということも、考えさせられる。ついつい今の世界のイメージでモノを見てしまうけれど、世界にはそれぞれの国の誇りがたくさんある。

・実はヨーロッパの新興国などに対する寄付文化や貢献活動は、過去のアジア諸国、西アフリカなどに対する罪に対する償いという側面もあるのだろうかと思ったり。

・イギリスがそもそも弱い国だったこと、スペインとポルトガルが大国だったこと、現状と反対で驚いてしまった。

・そしてイギリスという国が這い上がっていく、その始まりとしての16世紀は最高に面白い時代だっただろうと思った。やっていることが犯罪とは切っても切り離せないけれど、限られた資源でどうやって勝っていくかという考え方は、ビジネスでも大切なことで、ワクワクする。こんな昔から、国の外に飛び出していくひとたちがいたのも感激!スケールが小さくても、ドレークやホーキンズのように一旗上げてやる!という気持ちになった。




シーナ・アイエンガー
文藝春秋
発売日:2010-11-12









ルディー和子
ダイヤモンド社
発売日:2005-09-01

一般に大局的かつ軽々しく語られがちな「マーケティング」について、過去の事例、具体的な商品や産業を持ち出して、非常にわかりやすく説明してくれる名著。マーケターになりたいひともにリサーチャーになりたいひとにもオススメです。「マーケティングの神話」とテイストは似てます(こちらはリサーチ寄り)。




ナシーム・ニコラス・タレブ
ダイヤモンド社
発売日:2009-06-19





ナシーム・ニコラス・タレブ
ダイヤモンド社
発売日:2009-06-19





ユン・チアン
講談社
発売日:1993-01-19

ワイルドスワン上巻がもうすぐ終わる。トーホンの両親は素敵だ。礼儀と知性をベースにあとは自由放任。威厳はあるけど、親しみもある、そんな親になりたい。

ワイルドスワン上巻半分越感想:とにもかくにも、国を変える、世界を変えるってのはほんとに難しいんだろうな。以上。

ワイルドスワン上巻半分越感想:こういう変化が宗教的な反感も特になく起きてるなら、やっぱり国が変わっていくためには上からの押し付けじゃない自発的なボトムアップ式なのかなと。そこには強制的な政府とかの力よりは企業みたいな商業的関係の力が絡んでる。全部が全部ではないだろうけど。

ワイルドスワン上巻半分越感想:個人の価値観とかならまだしも、規則や慣習、宗教みたいな大義的なものによって形成された価値観はある種質が悪い。でも実際例えばカンボジアなんかでも都市部は女性が肌を露出するようになってきてる。海外の様子をキャッチした若者からボトムアップ式に変化してるぽい

ワイルドスワン上巻半分越感想:あと怖いなと思ったのは宗教でも慣習でも規則でも、その枠組みが絶対正義になっちゃうこと。守るべきものではあるけど、全く疑わなくなると良い方向への変化はそこで止まる。まぁ口で言うのは簡単なんだけど。

ワイルドスワン上巻半分越え感想:感情面でみればやっぱり母の味方になりたいけど、確かに父の言い分もわかる。で上を下げて下に合わせるってのは精神衛生上よくないかな。下にいる人からしたら上がいなくなることですっきりするけど、元上の人からしたらどう考えても嫌でしょ。負の感情ばっか。

ワイルドスワン上巻半分越えた。従来の習慣を変えることや革命時の負の感情をどう取り除くかってことはほんとに難しいんだなと感じる。規則とか習慣っていう枠に感情が絶対セットになるから。




ユン・チアン
講談社
発売日:1993-01-19

ワイルドスワン下巻半分読了。1960年代後半でこれはひどい。血生臭い革命だなと読み進めて行くたびに思うけど、人間の本性というか根底にあるものってこういう汚い残酷なものなんだろうな。

ちょうど今読んでるワイルドスワンにあった毛沢東時代の描写が、意図は違えどこの現代でも起きてるのかと思うとぞっとする。→教師が生徒にひざまずき波紋、当の本人は「効果があった」と納得顔。

ワイルドスワン下巻:「ありがとうはブルジョア的」って…独裁、革命、そういう急進的なもの本当に怖い。

ワイルドスワン下巻:まだ読み始めたばかりだけど、階級敵人 、反右派闘争の次は走資派、紅衛兵と、毛沢東の酷さに拍車がかかってる。こんなのが1960年代に起きてたと思うとぞっとするわ。












丸山 真男
岩波書店
発売日:1961-11-20






















アクセル ハッケ
講談社
発売日:1996-10-18

中学の頃に両親からもらった本の一つ。
引越しのときにいつも持ってきてしまう本。




祖母がくれた本。ほこっとします。
















貫 成人
ナツメ社
発売日:2001-06











ここにある本以外でもきっと良書はあったんだろうけれど、内容や受けた印象を思い出せない本も多数あり・・・。 量ではなく質を高める読書をしたいなと思いました。

2012年4月15日日曜日

就活せずに働き始めて1年が経ちました。

こんにちは。
ぼくはこのブログで、(ほとんど直接は関係ないながらも)このブログのタイトルをメッセージとして心に抱きながら働いてきたし、記事も書いてきました。

ちょっと節目からはずれてしまいましたが、今年の4月で働き始めて1年が経ったので、まとめ記事を書きたいと思います。
「就活せずに満足した就職ができなかった場合、こういう学びが得られます」という1つの例として、参考にしていただければ幸甚です。「どういう会社に入ると自分はどうなるのか」というイメージが一番大切だと思うので。

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(ちなみにそもそもなんで就活しなかったのか?といいますと、元々進学する予定だった大学院に入学書類の出し忘れというアホな理由で入学拒否をくらったからです。
入学できないことが正式に判明したのが2011年3月17日。大学院入学の2週間前のことでした。

そのまま浪人をして大学院を受け直すという手もあったのですが、それでは面白みがないなということで働くことに決め、たまたまその前後に知り合った方の会社に転がりこみました。
会社の方も見ているこのブログで書くのも失礼な話ですが、働きたいと申し出たとはいえ、古いし、小さいし、残業代でないし、ボーナスないし、正直言って待遇や世間的ステータスを世の大企業と比較したら月とスッポンです。
それでもこの会社しか働ける場所がないというかなりネガティブな理由でその会社に籍を置かせてもらいました。
だから就活はそもそもしていないし、最初から満足した就職先だったかというと、全くそうではありません。それでもぼくはここで生きていくしかなかったし、ここで環境のせいにしておもしろい人生を送れないと決めつけるのも嫌だったし、
将来ビッグになるであろう同世代にも負けたくありませんでした。
だからぼくは「就活せずとも生きていけます」という想いを胸に、頑張ってやろうと決意したわけなのでした。)
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ぼくが1年働いてみて感じたこと。
・会社に慣れ、自社ビジネスと自社を取り巻くビジネス環境を理解し、ちゃんと会社に対して価値提供できるまでに、最低でも1年はかかる

・横文字カタカナの一見かっこいいビジネスワードやビジネススキル以上に、所謂泥臭いソフトスキルがいかに大切か

・会社に大きな功績を残すには数年かかるし、自分のアウトプットに何か1つに満足するまで会社をやめない方がいい

・世の中の生存している会社を経営している方々、事業部長などのポジションの方々は、みんな尊敬

でした。


一つ目-会社に慣れ、自社ビジネスと自社を取り巻くビジネス環境を理解し、ちゃんと会社に対して価値提供できるまでに、最低でも1年はかかる
字面だけで学ぶのと、身を持って経験することというのはやはり全く別物で、とりあえずの独り立ちには1年は要するなというのが実感。
「独り立ち」とは?という定義で言うと、一人で堂々とフロントに立てる、リードとして新しいことを頼まれる、進んで新しいことにトライできる、などなどでしょうか。

僕の場合をまず時系列で振り返ると
・(ロースキルで一通り回すことのできる業務でも)通常業務を一人で回すことに余裕が出て、粗利対人件費率が30%を切るようになるまでに半年前後
・業界における上流から下流までの構造と潮流、自社のこれまでの経験値とポジション、を腹落ちさせ、それなりのセールストーク・経営トークができるようになるまでにそこから数ヶ月
・新しい事業を始めるための実務作業へのブレークダウンと実行する勇気を得られるまでに数ヶ月
という感じです。


2つ目-横文字カタカナの一見かっこいいビジネスワードやビジネススキル以上に、所謂泥臭いソフトスキルがいかに大切か
これは本当に実感しているのですが、聞こえの良いビジネススキルよりも、泥臭くて、ともすると就活生に否定されがちな、付き合いの飲み会や摂政こそが、第一ステップで必要になるということは学生のときに誰も納得感ある形で教えてくれなかったことです。まぁ生意気すぎて、「身をもって知れ」という感じだったのかもしれませんが(笑)

結局仕事は人間同士が行うものなわけで、感情レベルの好き嫌いが重要な変数として効いてくるのは当たり前のことです。
営業で言えば、まず取引先に存在をどうやって認知してもらい、顔を覚えてもらい、発注の段になって担当者の頭の中にすぐに自分を思い出してもらえるかどうか、というのが肝要です。
もちろん、サービスが群を抜いて発注者のニーズにマッチしていれば別ですが、そう都合よく武器は揃っていないものです。そこでその状況を好転させるのは、営業の力。トークに自身がないならば、泥臭いゴマすり、度重なるご挨拶訪問、付き合いの飲み会、などなどから始まり、また同時に日頃のコミュニケーションの段階から他社と違ったことをしようとする差別化の工夫が最終的に実を結ぶのだとぼくは思っています。
ぼくは小さい会社なので客先に行く業務も、社内でこなす業務も経験できましたし、何より切羽詰まっている状況だったので、なりふり構っていられないという状況のおかげですが。

また社内コミュニケーションも大事です。それは気持よく仕事するため、そしてやりたいことをやらせてもらうためにです。
確かに会社によってはどうしようもなく固定化された場合もあるかと思います。ですが基本的にこういう時代ですから、若い世代に任せてみようという気持ちを持っていらっしゃる上の方々もたくさんいらっしゃると思うんですね。それでもうちの会社は任せてくれないとか、同期のあのひとにはどんどん任せてくれるのに自分には任せてくれないとか、それを外的環境要因として決めつけてしまうのではなく、翻って自分は任せてもらえるような部下なのか?上司に気に入ってもらえるように振る舞えているのか?ということ振り返ってみるべきで、そういった内省をせずに他者批判をするだけでは、一生チャンスは巡ってこない。自分がチャンスのサインを見逃してしまっている可能性を探り、社内摂政に力を注ぐことも仕事の内の一つだと思います。


3つ目-会社に大きな功績を残すには数年かかるし、自分のアウトプットに何か1つに満足するまで会社をやめない方がいい
ぼくは1年働いて、取り急ぎベースを均すことはできたと思っています。
そのベースを持って、今は海外クライアント・パートナーの開拓と海外事業の開発をメインで担当させて頂きつつ、国内事業拡大のための戦略作り、セールスポイントの強化、クライアント開拓なども並行して行なっています。
特に、新しい事業を創り上げていくことは学生時代のビジコンのようなアイデアコンテストとは訳が違うというのも実感させられます。予算も人材の工数も確保できるような状況ならまだしも、
すべてゼロという外的制約の中で、実現可能性がありそうでかつ中長期的に勝てる事業を形にするというのは、本当に一朝一夕ではいかないわけですね。お金を生み出すことができるモデルを完成させるには、年単位の時間が必要だなと。
と同時に、自分で新しい価値を会社に残さないうちに辞めるのよっぽど素敵なチャンスが到来しない限りは考えないほうがいいとも思っています。
環境がベストな状況なんて、一生巡ってこないので、制約の中でどれだけ価値創造できるかという視点を持ち続ける方が、どの会社に移っても、自分で事業を始めても、活かすことができます。


4つ目-世の中の生存している会社を経営している方々、事業部長などのポジションの方々は、みんな尊敬
小さい会社なので、自分の仕事も会社の売上に直結してきますし、自分が稼がないと給料も上がりません。
残業代は出て当たり前、ボーナスは出て当たり前、新卒も毎年採用して当たり前、という当たり前が全くない環境で働いてみると、会社を経営することがどれだけ大変なのか身に染みます。
他社さんの一人当たりの売上高、売上推移や従業員数の伸びをチェックしてみたりしていると、自社の業績や財務状況を把握しているからこそ、会社を存続させている方々のすごさ、業績を伸ばしている方々のすごさに圧倒されます。
他社さんの頑張りはぼくのモチベーションであり、ベンチマーク。会社の総売上を伸ばせるように頑張らなければと、背筋がぴっと伸びます。



さて。
全く満足していなかったぼくの就活でしたが、いまの仕事生活にはとても満足しています。日々学ぶことがあるからです。

そうすると、「何を学ぶのか?」という話になりますが、会社で学ぶことのできることは、業界、規模、部門などによってもちろん変わってくるので、自分の学びたい分野や生かしたい分野があるのであれば、そこがマッチする会社を選択していくのがいいでしょう。

では、そういう好みのないひとはどうすればいいのか?
ぼくは適当でいいと思います。何を学べるかや何を生かすか、は大半のひとにとっては長い目で見て副次的な要素でしかないなと、周りの方々を見て感じているし、
日本の場合、他の国のように真面目に学ぶ国ではありませんから、大学時代のストックなんて、相当インプットした人たちでない限りないも同然で、仕事の実務に勝る学びはありません。

それよりもむしろ、その会社をフル活用すること。
それさえできれば、どんな会社に入っても何かしらの要素での学びはありますし、学びの深さも増します。
一期一会のチャンスを選り好みして無駄にしたり、ずっと自分探しをしたり、好環境が回ってくるまでぼーっと待っているよりも、ずっと生産的です。

そして、積極的に目の前の状況から学んでいくことによって、今の自分に足りないもの、これから学びたいものが見えてきます。昔の自分が立てた計画なんて、変化してきた今の自分からしたらゴミみたいなものですよ。



それでは、みなさんが良い形で就活を終えられることを祈っております。

2012年4月8日日曜日

[TED]幸せを創造すること-Why are we happy?から

先日見た"Why are we happy?"というTEDのビデオを見て、「幸せ」について考えたことをまとめました。
前に書いた「ぼくらのすぐそばにある幸せという気持ち。」と似たような内容ですが、もう少し整理されていると思います。



このスピーカーはビデオの中で、"We can synthesize happiness."と言い、Natural HappinessとSynthesized Happinessという2種類の幸せを取り上げています。
Natural Happinessを「自分のほしいものを手に入れて得られる幸せ」、Synthesized Happinessを、悪い状況にあるとき(「目標達成」の文脈で言うなら目標達成できなかったとき)に生み出す幸せ、と定義しています。



Natural Happinessは、「目的達成型」のひとが好む幸せであり、従来考えられてきている幸せです。
また定点的で、一瞬の幸せという状況しか保証してくれないものでもあります。そういう意味で簡単に壊れてしまう幸せだとも思います。

例えばあなたの収入が増えて1000万以上になったとします。1000万円以上の収入が稼げるようになったときは幸せだと思います。でもその幸せは長続きするでしょうか?収入が増えた分支出が増えて、却って苦しむことだってあるはずです。
ぼくの場合は両親を見てずっとそう思って来ました。(ぼくの両親は収入が多くても高価なマイホームを立ててしまい、家のローンがまだまだ残っていて結局ひたすら働かなければいけない状態にいます。)

だからNatural Happinessというのはある種Old Happinessのようなものだと感じています。
国が成長し、努力すればするだけ、働けば働くだけ、欲しい物が手に入った時代には適切な概念だったのかもしれません。

ですが、これから必要な考え方は「幸せは努力して手に入れるものではなく、気づくもの、認識上の産物。」だと思っています。
高度経済成長期のような伸びを期待できなこの時代にこの考え方をできないひとが多いから、「日本は鬱屈としている」とみんなが感じていると思うんですよ。

それにそもそも、Natural Happinessしか概念がなければ、先進国の人たち以外は全員不幸だと感じているということになる。そしてこれが真実ではないということは現地を訪れたことのある人たちはわかるかと思います。

そこで、Synthesized Happinessの登場です。
自分のマインドセット次第で規定されるSynthesized Happinessは「線的に幸せな状況」です。
外的要因によって左右されない幸せの考え方なので、自分で創りださなければいけないという点では難しいのかもしれませんが、Natural Happinessだけを求めるよりは精神的に健康だと思います。定点的にNatural Happinessを享受するためのベースとして幸せを創りだしていくことができるので。

ただ実感としては、他者からの評価ではなく自己評価軸をしっかりと持つことに慣れていないひとが多い。
それはやはり、一般的なレールがあって、他者の目を気にしていきるように抑えつけられがちな、日本社会の在り方の問題なのかなとも思います。

ついつい他人と比べてしまうひとに考えてもらいたいのは、幸せって、数値化して比べることのできるものなのか、他人に「お前は幸せだ」と言われたから「私は幸せなのか」と実感するものか、ってことです。自分が「わたしは幸せだ」と思ったら、幸せなんです。それでいいんです。



ぼくはこのブログを開設した際に書いた通り、大学院に事故的にいけなくなりました。
試験もパスしていたにも関わらず、進学2週間前に唐突に勧告されました。
色々と考えた上で、小さな小さな会社で4月から働き始めました。
周りは所謂大企業、外資系、脂ののっているベンチャーに就職していく中で、SOHOオフィスの従業員数5人もいない会社に就職しました。
想像していた社会人生活とは全然違っていました。

それでもぼくはHappinessをSynthesizeできたから、頑張れています。
大学院に行けないことが確定したあとの晴れた日曜日、好きな音楽を聴きながらお日様の下歩いているときにふと思ったんです。「あーいまおれ幸せだなー」って。

そしていまも、同世代より享受している金銭や福利厚生は劣るけれど、シェアアパートのみんなで年越しをしたり、金麦タワーを作って「金麦-」って叫んでみたり、キャンドルナイトしながら語り合ったりできて、「あー幸せだなー」って思うんです。


ぼくの人生はこういう素敵な線的なSynthesized Happinessによって下支えられています。
みなさんの人生もPotential Synthesized Happinessに溢れているはずです。



もうすぐ幸せな1日が終わり、そしてまた幸せな1日が始まります。
明日も頑張りましょう。