2012年11月11日日曜日

結婚式に呼べる友人はいるか?


この歳(といってもまだ24歳だけど)、結婚式の披露宴やら二次会やらに行く友人が周りに増えてきた。特に女性は第1回目の結婚ラッシュのようで、1年くらいの間に5回前後はおめかしをしているように思う。

自分が結婚できるのか、したいのか、ということは置いておいて、もし仮に結婚するとなったときに自分が呼びたいと思う友人がいるかどうか、というのはこれからの友人付き合いの軸としてアリかも、というのがこの投稿のメッセージである。



自分の過去の人付き合いを振り返ると、中高の頃は勉強出来る人と、高校の時は部活の人、大学の時は、いわゆる意識の高い人、と付きあおうとしていた。特に大学の3年以降はかなり選民意識というか、「こういう友人を増やしたい」という欲が強く、フザけ合える人ではなく、まじめに議論できたり、将来のことを考えたり、自分の成長意欲を掻き立ててくれるような人、ばかりに目を向けていた。プライベートで仲良くできる人が欲しいとは思っていなかった。

それがいつの間にか、プライベートの友人を作りたいという気持ちに変わっていた。

働き出してみると、そういう成長というのは当たり前のように追い求めていかなければいけないことだし、毎日の仕事が日々成長の場である。会社の仕事にちゃんと向き合い、先輩たちの能力を吸収しようとしていれさえすれば、学び放題だ。
おかげさまで、無駄に人と会って自分の士気を高めるというような「意識の高い」行動も、ブームが過ぎ去ったのか、意味がないとわかったのか、ほとんどしなくなった。自分から「わざわざ」成長促進剤を求めるようなことをしなくなったのであった。1日12時間はそういう真面目な人間関係の中にしかいない。

一方、毎日仕事のことを話したり考えたりすることはあれど、自分のプライベートな話をできる人が一気にいなくなった。プライベートな話というのはつまり、チラ裏話である。

チラ裏話が出来るというのはつまり、相手にとって何の価値もないと分かり切っていることでも、臆せずに話ができるということであり、それは相手の時間を暴力的に奪っているにほかならない。
楽しかったこと、つまらなかったこと、悲しかったこと、幸せだったこと、すべては相手にとって何のメリットも与えないが、それを受け入れてくれる、またはそのくだらない話の中から相手が自ら何かしらのメリットを探して感じ取ってくれる。そういう関係が、チラ裏話ができる関係だ。

そう考えた時、結婚式は究極のチラ裏イベントでしかないと思う。
自分がいいパートナーを見つけたこと、そしてとても幸せなことを見せつけ「さぁぼく/わたしを祝って」と呼びつけるわけである。ご祝儀というお金まで払わせ、おめかしをさせ、出し物を考えさせる、という愚行だ。

そんなイベントに喜んで参加してくれる友人、逆に自分もこういうネジ曲がった考えを持たずに招待できる友人、そんな友人が一体何人いるのだろうか?

自分が「結婚式に呼びたい」と思う友人は、きっとお互いに大切な友人なんだと思う。そういう友人がいるのは、とても素敵なことだ。自分も相手も幸せだ。

これからはそういう人付き合いの方向性でいけたらいいかな、なんて思う次第。
そういう意味でシェアのアパートに住んでいてよかった。一人暮らしだったらプライベートなんてなかったかもしれない。
住民のみなさん、ありがとうございます。

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