2013年2月25日月曜日

ぼくにとって菊名のシェアアパートとはなんだったのか。

大学を卒業してすぐ、ぼくはシェアアパートに住み始めた。初めてのシェアライフ。アパート自体もオープンしたばかりだった。あれから2年、ぼくはその場所を去ることにした。

明確な理由があったわけではないけれど、慣れきってしまった環境からは早めに足を洗った方が良いのではないかという気持ちとか、このアパートがオープンしたときからの住民を見送り切って自分だけが残る状況も嫌だなとか、そんな感じ。

次もシェアアパートに住むんだけれど、一人暮らしにしとけばよかったかなと少し後悔するくらい、ここでの生活は特別なものだった。ぼくにとってのシェア生活とはここでの生活であり、シェア生活を共にした住民はここの住民だ。この記憶と思い出をキレイにそのまま無菌室に入れて、墓場まで持っていった方が良かったんじゃないか、くらいの気持ち。

何が特別だったんだろう。こういうことはあまり触れずにそのままそっと心に留めておく方が、尊いものに対する扱いとして良かったのかもしれない。だけどこの場所はぼくを間違いなく変えてくれた。その変化が何で、どうして起こったのかを整理することで、この2年間を一生自分の中に生かし続けことができると思うので、言語化してみたい。


シェアアパートという住環境を簡単に振り返ってみる。あえてリンクは貼らない。言ってしまえば、ここは寮だった。ただ、ここに住む人たちには属性としての共通点は何もない。あるのは「このアパートに多かれ少なかれ興味を持った」ということだけ。出身地も年齢も仕事もバラバラ。そんな人間が50人も共同生活を送る。そしてその50人という住民の多さを利用し、共益費としてお金を取ってオシャレなラウンジと広いキッチンスペースを作る。ここが住民の憩いの場となる。基本の生活は自室でほぼ完結する。

今でこそドラマやらドキュメンタリーで取り上げられているけれど、2年前は系列のアパートが5軒くらい都心にあって、少しシェアハウスをやっている人たちがいるくらいだった気がするから、普通の人から見たらシェアという生活自体が特異な環境だっただろう。さらに、シェアアパートは大きな住宅で、何十人もの知らない赤の他人といきなり一緒に暮らす、というところだから、明らかにシェアハウスとも異なる。周りはシェアハウスに住んでるんでしょ?と言うわけだけど、全く違う。ぼくが好きなのはシェアアパートであって、シェアハウスではない。

話を戻そう。人によって生活時間帯は異なるから、50人全員が一堂に会することはない。50人の内20人くらいは、結局共有スペースに降りてこないという現実もある。なので普段は5人~10人くらいが同じ時間空間を共有しているイメージだ。料理をしている人、テレビを見ている人、仕事をしている人、勉強をしている人、コーヒ-を飲んでいる人、ゲームをしている人、ご飯を食べている人、お皿を洗っている人、寝落ちしている人、雑誌を読んでいる人、それぞれ自分のやりたいことをしながら、おしゃべりする。そして部屋に戻る。テレビがかなり大きいので、よく映画もみんなで観た。平日なのに夜な夜な語り明かす夜もあった。週末にはパーティーをする。誰かが誕生日ならサプライズパーティーをする。行きたい場所があれば誘ってみんなで行く。食べて飲んで騒いだり外に出てたりする機会は、圧倒的に増えた。

こんな環境だったものだから、影響を受けやすいこともあってか色んな人の趣味を、自分もまた好きになった。コーヒーを毎朝豆から飲んだり、カフェめぐりを一人するようになったり、ワインを飲むようになったり(と言っても味はよくわからないが)、映画を観るようになったり、美術館や展示を観に行くようになった。

働き始めたばかりの同年代同士では、よく仕事の話をした。愚痴も言った。でもそれ以上に、これからどうしていこうか、という部分の言語化作業をサポートし合った側面が大きかった。こういうところに来る人だから意識も高かった。その時助けてもらった同志たちの一部はすでにここを発ち、各々のフィールドで頑張っている。世代的に上の人たちにもよく相談した。聴いてもらえるだけで救われた。仕事で疲れて帰ってきても、終電で帰ってきても、誰かがいて、話が出来たから、やってこれたんだと思っている。死にそうになって帰ってきて暗い部屋に一人でいたら、心が暗くもなるのは当然だ。体調がすぐれないときも、助けてくれる人たちがいたのはありがたかった。

もちろん、こういう楽しいことばかりではなかった。学校と一緒だ。最初はみんな取り繕うんだけど、だんだんと良いところも悪いところも当然目につくようになる。自分が嫌な人間になっていることもあった。それでも妥協してみたり改善しようとしてみたり、そういうことをぐるぐる考えるのも良い経験だったと思う。住民同士のコミュニケーションも住環境も、自分たちで整えようとしていた。住環境に関してはやはり進んで事が起きにくかったが、大掃除を企画してくれる人がいたり、何も言わずに溜まったお食器類を片付けてくれる人がいたり、密かに備品を買い足してくれる人がいたりして、うまく回っていた。

こういうこと全部含めて、菊名はホームだったと同時に、一つの社会であり経済単位だった。この小さな社会での生活を通して、経済活動は元を正せば交換されたもの自体の価値ではなくて、交換してくれた相手に対する感謝の気持ちや好意が起点だったのではないか、ということを強く感じている。一緒に住んでいると生じるコミュニケーションの量がとても多いから、ここではたくさんの交換が行われる。自分が主体のこともあるが、それ以上に他の住民間の交換を頻繁に目にする。お金ではなくて、相手への好意や日頃の感謝の気持ちを、交換している様子だ。一緒にどこかに行くにしても、料理するにしても、毎日ありがとうが聞こえてくる。こういう環境が果たして今まであっただろうか?ぼくにはなかった。


だからここに住み始めて1年半くらい経った頃から、日頃のお礼をしたい、喜んでもらいたい、という想いが強くなっていることに気がついた。振り返ってみると、料理を振舞ったり、おみやげを買ってきたり、溜まった食器を洗って片付けておいてみたり、ささやかだけどそういうことが増えたと自分では思っている。優しいみんなのおかけで、少しは優しくなれたのかなと。常に優しくいられる人間ではないことはわかっているので、少しだけだけど。同時に、カネカネ!という冷たい印象のあった経済活動も、こういう風に解釈し直して見ると実はとても素敵なことなのではないかと感じている。

何が言いたいかというと、きみの昨日の優しさが、今日のぼくの優しさで、今日のぼくの優しさが、明日のだれかの優しさになるのでないか、ということ。かつてはそういう循環が経済活動だったのではないか、ということ。現状世界は冷たいように見えるけど、目の前の人に優しくなれたら、その目の前の人がまただれかに優しくして、巡り巡ってまただれかが、優しくなれるかもしれない。逆に、周りの言動から自分への優しさを感じとることができたら、今度だれかに優しくしたくなるかもしれない。世界は変わらないかもしれないけど、こうしてみんなが少しは幸せになれるかもしれない。そんなおとぼけ理論を放言してしまうくらいには、この2年間でぼくは変わったのだ。

引越し作業中、大学4年生のときのものであろうマインドマップの紙が1枚出てきた。一番上に大きく「冷たくて優しい人間になりたい」と書いてあった。冷たいだけの人間だったけど、ここのおかげで少しは近づけたかなと思っている。

ここまで書いてだいぶ整理された気がする。これでここはここのまま残して、次のアパートに行けそうな気がしてきた。菊名で時間を共有してくれたみんな、ありがとうございました。次はどんな変化が生まれるのか、素直に楽しもうと思います。

2013年2月22日金曜日

環境を変えるのか、その中で耐えるのか。

「今の環境が嫌だから、やめたい」と言うと、「そんなんじゃどこに行ったってやめたくなるだけだわボケ」と言われることがある。大前研一氏の自分を変えるための教訓の第一項として出てくるのが「環境を変える」なわけだが、環境を変えないと何も出来ない人は環境を変えても何もできない、という否定意見もまた多い。

「今の環境が嫌だからやめたい」はダメなのか。
自分がうまく立ち回れた環境を経験したことがない内はやめない方がよいと思う。その前にやめてしまうといつまで経ってもやめ癖が抜けないと思うから。自分の中での基準みたいなものを作るためには、一度成功例を作っておいた方が良い。

似たような話で、「嫌だからやりたくない」と言うと「嫌なことやらないなんて仕事になんないわボケ」と言われることがある。好きこそものの上手なれ、とか、好きなことなら努力できる、とかそういう諸説がある割に、嫌いなことをやらないという意見を否定する声もまた多い。

「嫌いだからやりたくない」はダメなのか。
「やりたくない」には「やりたいことをやるためにやらなければならないやりたくないこと」と「そもそもやりたくないこと」の2種類があると思う。やりたい/やりたくないを好き/嫌いに置き換えてもよい。そういう人にとって前者のやりたくないことを実はやりたくないことと勘定していない可能性がある。もしそうなら、やりたいことを仕事に出来ていれば、やりたくないことだってやるわけだから問題ないだろう。

ただ、そもそものやりたいことが見つからないから全部やりたくない、というのであれば、それは我慢し働いた方がよいと思う。そういう自分の中に答えのない人はいつまで経ってもやりたいことは見つからないと思うからだ。やりたいことは自分の中で作るものであって、他人から受け取れるものではない。





さて本題。
こんなことを考えているうちに、どうして環境による影響は無視されてしまうんだろうということを考えた。みんな口を揃えて今の自分の実績(良い状況)が得られたのは環境が良かったからだと言っている割に、環境を今の自分の有様(良くない状況)の原因にする姿勢に対しての風当たりは強い。

要は他人のせいにしているやつは甘えだ、という主張。言いたいことはよく分かる。結局自分を変えるのは自分自身である。だけど、そこに与える環境の影響が絶大なのもまた確かなはずだ。

でも彼らはさらにこうかぶせるかもしれない。
「世の中そんなに甘くない。自分とマッチする環境に巡り合える確率なんて高くない。探している内に何もせぬまま死ぬぞ。」

仰るとおりだと思う。でもぼくはオッサンたちにこう言いたい。
「それならそういう環境を作ってるオッサンたちが、部下たちがイキイキ働けるような環境を作ればいいんじゃないんですか。」

そうすると彼らはこう言う。
「まだ大した価値も生み出してないお荷物がいっちょまえに意見するな。」

意見する権利を得るのに何か生み出した価値が必要なら、その世界は基本的人権が侵されてるんじゃないんですか、と思ってしまうわけだが、これも彼らからすると甘えである。





環境が人を変えるというところの例として、大学生の遅刻、ドタキャン現象を考えてみたい。おそらくどの世代の大人であっても、大学生は信用できないと思っていると思う。ぼくもそう思うし、大学生時代の自分にもそういうところがあったと思う。

で、大人たちは遅刻したりドタキャンした大学生に対してこう言う。
「そんなんじゃ社会に出てからやっていけないぞ。」

ぼくはこの解釈は間違っていると思う。こういう経験をして、卒業まで遅刻やドタキャンを繰り返し続けた学生も、社会に出た途端に、遅刻やドタキャンをしなくなると思っているわけである。

つまりこの遅刻やドタキャンをするという傾向は、属人的な性質ではなく、大学という環境に慣れきってしまった結果として現れている性質だ、ということ。根拠はない。感覚的な話である。おそらくだけれど、ここ数年に大学卒業した人たちならばなんとなくわかってもらえるのではないかと思う。

一方で、大学生活が遠い昔の大人たちは、この感覚を忘れてしまっている。だから当時自分も同じようなことをしていたことは棚にあげて、「遅刻やドタキャンをしている大学生はダメだ」とか言う訳である。昔は自分もそうだったでしょ?でも変わったんでしょ?それは自分で意識して変えていこうとする前に、環境がそうさせたでしょ?ということをぼくは問い正したい。

これを思い出す事が出来れば、自分の環境つくりの下手さを棚上げして若手社員の不出来さを批判するオッサンたちが減り、環境が良くなって、若手もオッサンもハッピーな社会になるんではないでしょうか。超人であれという発言は、世の中を良い方向には1ミリも動かしていきませんよ。

2013年2月2日土曜日

ストレッチせざるを得ない状態を作る

2013年の目標の一つが「脱甘え」なんですが、そのために何が必要かというとストレッチ<せざるを得ない>状況だと思っております。

環境関係なしに自身を鼓舞できたらパーフェクトなんですけどそうそう上手く行くこともないんだなというのが転職してからの実感だからです(それが甘えだ、と言われるとどうしようもないんですけど)。同じ人間とは思えないほど仕事への取り組み方が変わってしまいました。理想は変わらないんだけどね、こころの中の。

ぼくの理想は、自分の能力では完遂できないギリギリのラインの仕事に取り組み続けること。

ですが実際は、先輩方に迷惑をかけてしまう前提のチャレンジは、やはり手をあげにくいし、時間が経つほど今の環境に染まってしまって受身になる自分がいました。

なので、まずはもうストレッチ<せざるを得ない>状況を作って、理想に向けて強制的に走らせようと。

でもモチベーションがないので、そんな状況簡単につくれるわけもなく。Facebookで言語化してみたり、社長に相談してみたり、自分の今にも消えそうな灯火状態のモチベーションでもなんとか一歩を踏み出せるようなことに手を出してみたり、暇なんですと連呼してみたりして、漸く、漸く、ストレッチ<せざるを得ない>状況を作り出せてきました。うちはプロジェクトベースなので、一時的なものでしかありませんが。

ということで、今日ストレッチモードに入れたことを記録として残しておきます。

その内容自体というのは、データ入力300時間とかではなく(自分の責任でフロントに立つわけではないけれど)レポートに関わることで、「こういう風に書いて」という指示があるわけではなくて、自分でクライアントの持っている課題と今回の調査目的と、レポートを誰がどういう用途で使うのか、を考慮した上で、何をどのように見せたらよいのかウンウン言いながら作業することなので、非常に意味がある。




それと、今回こういう機会に恵まれたのは上にいる先輩が結果的に任せてくれるひとになったことが大きい(こうなるだろうことはある程度見越した上でプロジェクトに志願しましたけど)。
やはりほとんどの若手の成長は上の人間によって決まってしまうと思います。
ポイントは上司の個人の能力ではなく、管理能力というかマネジメント能力。全部自分で仕切りたいひと、完璧主義者のひとが上司に当たったら、まずは違う上司の下につけるよう画策した方がよい。
もしそういうローテーションが難しいなら、自分で勝手に、その上司に指示されるより前に自分なりの答えを作るようにがんばる(これがぼくはなかなか出来ないんですが)。

ぼくの場合今回取っ掛かりを掴めたので、ここでちゃんとしたレポート書いて「次も任せてみるか」と思われることが出来れば、ストレッチ状態はキープできるはずなので、ここで一発頑張ります。