明確な理由があったわけではないけれど、慣れきってしまった環境からは早めに足を洗った方が良いのではないかという気持ちとか、このアパートがオープンしたときからの住民を見送り切って自分だけが残る状況も嫌だなとか、そんな感じ。
次もシェアアパートに住むんだけれど、一人暮らしにしとけばよかったかなと少し後悔するくらい、ここでの生活は特別なものだった。ぼくにとってのシェア生活とはここでの生活であり、シェア生活を共にした住民はここの住民だ。この記憶と思い出をキレイにそのまま無菌室に入れて、墓場まで持っていった方が良かったんじゃないか、くらいの気持ち。
何が特別だったんだろう。こういうことはあまり触れずにそのままそっと心に留めておく方が、尊いものに対する扱いとして良かったのかもしれない。だけどこの場所はぼくを間違いなく変えてくれた。その変化が何で、どうして起こったのかを整理することで、この2年間を一生自分の中に生かし続けことができると思うので、言語化してみたい。
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シェアアパートという住環境を簡単に振り返ってみる。あえてリンクは貼らない。言ってしまえば、ここは寮だった。ただ、ここに住む人たちには属性としての共通点は何もない。あるのは「このアパートに多かれ少なかれ興味を持った」ということだけ。出身地も年齢も仕事もバラバラ。そんな人間が50人も共同生活を送る。そしてその50人という住民の多さを利用し、共益費としてお金を取ってオシャレなラウンジと広いキッチンスペースを作る。ここが住民の憩いの場となる。基本の生活は自室でほぼ完結する。
今でこそドラマやらドキュメンタリーで取り上げられているけれど、2年前は系列のアパートが5軒くらい都心にあって、少しシェアハウスをやっている人たちがいるくらいだった気がするから、普通の人から見たらシェアという生活自体が特異な環境だっただろう。さらに、シェアアパートは大きな住宅で、何十人もの知らない赤の他人といきなり一緒に暮らす、というところだから、明らかにシェアハウスとも異なる。周りはシェアハウスに住んでるんでしょ?と言うわけだけど、全く違う。ぼくが好きなのはシェアアパートであって、シェアハウスではない。
話を戻そう。人によって生活時間帯は異なるから、50人全員が一堂に会することはない。50人の内20人くらいは、結局共有スペースに降りてこないという現実もある。なので普段は5人~10人くらいが同じ時間空間を共有しているイメージだ。料理をしている人、テレビを見ている人、仕事をしている人、勉強をしている人、コーヒ-を飲んでいる人、ゲームをしている人、ご飯を食べている人、お皿を洗っている人、寝落ちしている人、雑誌を読んでいる人、それぞれ自分のやりたいことをしながら、おしゃべりする。そして部屋に戻る。テレビがかなり大きいので、よく映画もみんなで観た。平日なのに夜な夜な語り明かす夜もあった。週末にはパーティーをする。誰かが誕生日ならサプライズパーティーをする。行きたい場所があれば誘ってみんなで行く。食べて飲んで騒いだり外に出てたりする機会は、圧倒的に増えた。
こんな環境だったものだから、影響を受けやすいこともあってか色んな人の趣味を、自分もまた好きになった。コーヒーを毎朝豆から飲んだり、カフェめぐりを一人するようになったり、ワインを飲むようになったり(と言っても味はよくわからないが)、映画を観るようになったり、美術館や展示を観に行くようになった。
働き始めたばかりの同年代同士では、よく仕事の話をした。愚痴も言った。でもそれ以上に、これからどうしていこうか、という部分の言語化作業をサポートし合った側面が大きかった。こういうところに来る人だから意識も高かった。その時助けてもらった同志たちの一部はすでにここを発ち、各々のフィールドで頑張っている。世代的に上の人たちにもよく相談した。聴いてもらえるだけで救われた。仕事で疲れて帰ってきても、終電で帰ってきても、誰かがいて、話が出来たから、やってこれたんだと思っている。死にそうになって帰ってきて暗い部屋に一人でいたら、心が暗くもなるのは当然だ。体調がすぐれないときも、助けてくれる人たちがいたのはありがたかった。
もちろん、こういう楽しいことばかりではなかった。学校と一緒だ。最初はみんな取り繕うんだけど、だんだんと良いところも悪いところも当然目につくようになる。自分が嫌な人間になっていることもあった。それでも妥協してみたり改善しようとしてみたり、そういうことをぐるぐる考えるのも良い経験だったと思う。住民同士のコミュニケーションも住環境も、自分たちで整えようとしていた。住環境に関してはやはり進んで事が起きにくかったが、大掃除を企画してくれる人がいたり、何も言わずに溜まったお食器類を片付けてくれる人がいたり、密かに備品を買い足してくれる人がいたりして、うまく回っていた。
こういうこと全部含めて、菊名はホームだったと同時に、一つの社会であり経済単位だった。この小さな社会での生活を通して、経済活動は元を正せば交換されたもの自体の価値ではなくて、交換してくれた相手に対する感謝の気持ちや好意が起点だったのではないか、ということを強く感じている。一緒に住んでいると生じるコミュニケーションの量がとても多いから、ここではたくさんの交換が行われる。自分が主体のこともあるが、それ以上に他の住民間の交換を頻繁に目にする。お金ではなくて、相手への好意や日頃の感謝の気持ちを、交換している様子だ。一緒にどこかに行くにしても、料理するにしても、毎日ありがとうが聞こえてくる。こういう環境が果たして今まであっただろうか?ぼくにはなかった。
だからここに住み始めて1年半くらい経った頃から、日頃のお礼をしたい、喜んでもらいたい、という想いが強くなっていることに気がついた。振り返ってみると、料理を振舞ったり、おみやげを買ってきたり、溜まった食器を洗って片付けておいてみたり、ささやかだけどそういうことが増えたと自分では思っている。優しいみんなのおかけで、少しは優しくなれたのかなと。常に優しくいられる人間ではないことはわかっているので、少しだけだけど。同時に、カネカネ!という冷たい印象のあった経済活動も、こういう風に解釈し直して見ると実はとても素敵なことなのではないかと感じている。
何が言いたいかというと、きみの昨日の優しさが、今日のぼくの優しさで、今日のぼくの優しさが、明日のだれかの優しさになるのでないか、ということ。かつてはそういう循環が経済活動だったのではないか、ということ。現状世界は冷たいように見えるけど、目の前の人に優しくなれたら、その目の前の人がまただれかに優しくして、巡り巡ってまただれかが、優しくなれるかもしれない。逆に、周りの言動から自分への優しさを感じとることができたら、今度だれかに優しくしたくなるかもしれない。世界は変わらないかもしれないけど、こうしてみんなが少しは幸せになれるかもしれない。そんなおとぼけ理論を放言してしまうくらいには、この2年間でぼくは変わったのだ。
引越し作業中、大学4年生のときのものであろうマインドマップの紙が1枚出てきた。一番上に大きく「冷たくて優しい人間になりたい」と書いてあった。冷たいだけの人間だったけど、ここのおかげで少しは近づけたかなと思っている。
ここまで書いてだいぶ整理された気がする。これでここはここのまま残して、次のアパートに行けそうな気がしてきた。菊名で時間を共有してくれたみんな、ありがとうございました。次はどんな変化が生まれるのか、素直に楽しもうと思います。
ここまで書いてだいぶ整理された気がする。これでここはここのまま残して、次のアパートに行けそうな気がしてきた。菊名で時間を共有してくれたみんな、ありがとうございました。次はどんな変化が生まれるのか、素直に楽しもうと思います。