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先日書いた「今やらなければ、一生できない。今日やらなければ、死ぬまでできない。」の冒頭でこんなことを書きました。
色々と書いていて、自分が「こういう人に向けて書きたい」というその相手像がぼやけてきたというか、元々そういう人たちは存在したのか?という気持ちになってきてしまったからです。自分の勝手なイメージで、今の就職システムの被害者像を作ってしまっていたのではないか、という疑念。上記の感情はふっと出てきたものだったのですが、大学時代の研究やマーケティング・リサーチ会社でのリクルート・実査の経験で感じていた「数字への違和感、机上の理論へ違和感の蓄積」だったのかな、と今は思っています。
ニュースで語られる就職氷河期や離職率の上昇というマクロな数値は、その数値が指し示すはずだったミクロな当該個人を描くことはできない、というより、ぼくにはその数値から一人一人の「そのひと」を描くことができないみたいです。
どんな違和感だったのか、というところを下記に整理していきます。
●数字は恣意的である
数字が大事なのはわかっているつもりです。
数字は客観的な指標になり得ますし、インターネットが現れてから数的指標の使用シーンが増えてきて、さらに最近はビッグデータと言われるものもで始めて、増々数字を扱う能力というものの重要性が叫ばれている。それでもその数字だけではうまくいかないのではないか、という感じです。
例えば数字って、それ自体客観的なんですけど、その解釈って実は主観的で恣意的なんですよね。
最近少しずつ統計を勉強しているのですが、例えば信頼区間とか検定の話も、判断は恣意的です。
研究の話でいうと、計測も恣意的なんですよね。
ぼくは微生物を使って地下水中の金属除去が起こっていることを数字的に証明しようと研究していました。
やり方は簡単で、地下水に指定の微生物を入れて、時間経過とともにどのくらい地下水中の金属が減るかを測定するだけです。
この測定を「どういう時間間隔で行うか」によって、その実験結果から見えてくる金属濃度の変化曲線はかなり異なってきます。
時間間隔を短くするほど金属除去は急速に起こっているように見えるし、時間間隔を長くするほど、緩やかに起こっているように見えます。
リクルーティングの話でいうと、クライアントさんは「この商品はこれだけ購入者がいるはずだ。」というのに全然リクルーティングできなかったりすることもあります。
確かに購入者はいるのかもしれないけど、それ以外の指定の条件でフィルタをかけると一気に数が絞られてしまうわけです。
数字自体は真実だけれど、中途半端に数値化すると現実から離れてしまうということでしょうか。
このように、数字は客観的でもあるし、主観的でもある、難しい指標なのだと理解しています。
●コトラーのSTPは今後も通用するのか
さきほど読んだ記事で、こんなパラグラフがありました。
「どんな状況にある人のための製品ですか?」これを読んで、どこかで
顧客は統計的な「数」でも「群れ」でもありません。一人ひとり唯一の〈私〉がいます。その〈私〉たちが製品に求め、また与える意味は、多様です。ひとつの製品が、あらゆる状況におけるすべての〈私〉にとって良い意味を持つことなどありえません。したがって、「どんな状況にある人のための製品ですか?」という質問に明瞭な回答を与える商品のほうが受け入れられやすい。
この質問は〈私〉の立場からは「〈私〉のための製品ですか?」という質問になります。〈私〉は状況依存的な存在です。冬に屋外で凍えている〈私〉(カイロに価値を見出す〈私〉)と、夏に入浴後の〈私〉(アイスクリームに価値を見出す〈私〉)は、同じ〈私〉ではありません。-価値は製品に属さない
「コトラーのSTPは静的な分析であり、これからはもっと動的な分析をしないと通用しない。・・・例えばハンドタイプのアイスが売れたのは、外にいて暑いと感じている人たちがいたから。・・・」といような文章と出会ったことを思い出しました。
「静的な30代で世帯年収が800万以上で・・・」というような固定的なステータスによるセグメントではなく、「状況」という動的なステータスと紐付く中で、価値が認識されるのではないかという考え方でしょうか。(便益ベースのSTPとも言えるかもしれません。)
そして『顧客は統計的な「数」でも「群れ」でもありません。一人ひとり唯一の〈私〉がいます。』という記述は、まさにぼくが感じていたことでもあります。
STPはこれからも重要なマーケティングの観点から見た商品開発の重要なステップかもしれません。
ですが、「そのセグメントの中の人を鮮明にイメージできますか?」という問いかけの重要性も増して来ているのかなと。
これがペルソナ、人間中心設計、といったところに繋がっているのでしょうか。まだ勉強不足でそのあたりの関係性はわからないのですが、エスノグラフィーに最初に興味を持ち始めたのも、こういうところから来ているのかもしれません。
●個にフォーカスする
上記の流れから、一人一人の「ひと」に着目していきたいなと思っているのですが、あまりにも一人一人にカスタマイズしすぎてもビジネス成り立たないんじゃないの?と思うし、動的な顧客分析をしたとしても、同じ状況にいるような人たちがある程度の規模感で存在しないとダメなんじゃない?とも思います。
そんな疑問を感じていたときに思い出した記事がありました。AKB48をプロデュースしている秋元康さんについての記事です。
「人数が少なくとも、ある人にグッと刺さるものが必要。興味を集めさせることが大事で、100人のうち一人にしか刺さらないものを作ること、ある世代だけで大ヒットするものをつくること、それにより話題が他の世代に広がる」-秋元康が語るAKB48のコンテンツ論が面白過ぎた
秋元さんが伝えたかった主旨からはずれている気もしますが、なんとなく一人の「ひと」に注目して、そのひとのために商材を組み立てる、というのはありなのかなと感じました。
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一見遠回りのような気がしても、自分たちが見ている「人々」の中の「一人一人」を見ようとする姿勢が重要な気がしているので、もう少し関連記事読みあさってみようと思います。
セグメントの中のひと、数字の中のひと、が誰なのかわかるように。
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