2012年10月28日日曜日

[映画感想] FAST FOOD NATION.-今世界で起こっていることがリアルになる(追記あり)


このFAST FOOD NATIONという映画は、本当に衝撃的な映画だった。名前から簡単に想起されるような「ファストフードは身体によくないよ」というような健康啓発映画ではなかった。

今この世界で起きていることを、キュッと2時間に圧縮したような、そんな映画。

ぼくたち消費者の手元に商材が届くまでには想像もつかないようなたくさんの人たちと、想像もできない機械と、想像もできない工程が、関わっている。大きな会社になればなるほど、そのブラックボックス化は進み、そこには往々にして大きな問題が潜んでいる。
そんなことをメッセージとして感じた。


*(以下ネタバレ)*

アメリカのファストフード店に肉を供給する工場の多くは、メキシコ移民たちにとって格好の稼ぎ場所だ。

不法入国しても雇ってくれる上に、メキシコで1ヶ月働いて手にはいるお金が1日で貰えるらしい。
工場はたくさんのメキシコ移民の命を預かってる。

だけどその工程はずさんだ。
肉に牛の糞が混じってるらしい。内臓や腸を取り出す際に刃が入ってしまうかららしい。

仮に糞が混じってることが事実だったとしても、第三者機関が検査をしたところで、ファストフード企業の社長との癒着しているため悪い結果は表に出てこない。

工場ではよくケガ人や死人も出る。でもその事故を企業は認めない。ドラッグ検査の陽性を偽装し、解雇する。ケガもドラッグのせいにする。個人の問題にする。

ケガをした男性の奥さんはもっと稼ぎたいと思う。仕事が欲しいから、言われるがままに仕事の采配権のある男とセックスする。

そんな中、ファストフード企業内部の正義感のあるマーケティング部人間は問題を調べに、現場である工場まで出向く。現場は隠そうとするが、なんとか現実を知る。ショックを受ける。

一方、そういう課題があることを知った学生たちが、過激なことをやろうと案を練る。行動しなきゃ意味がないんだと、牛を逃がそうとして失敗に終わる。

男とセックスをして仕事をもらえることとなった女性の向かった先は肉加工工場の上流だった。ここは生々しい。牛の足を切り、皮を剥ぎ、身体を裂き、血飛沫が飛ぶ。

そして最後、正義感の強かった男が、商品会議で新製品のハンバーガーのアイデアを発表してるシーンをもって、映画は終わる。会社の巨大な悪に立ち向かうことができず、「今度もまた売れますよ」と何も知らなかったのように新しい糞のついたハンバーガーを作り続けるのだ。



少しはイメージが伝わっただろうか?
大企業が利益を追い求めるとこうなるのかと思うとゾッとするけど、こういう企業を求めてるのぼくたち消費者なわけで、企業を糾弾するだけじゃなく、消費者側が変わらなきゃいけないと思う。

ぼくたちはほとんどの生産工程から離れすぎてしまった。利益のために効率化し過ぎてしまった。

そういう文脈では、やっぱりデジタルファブリケーションの流れには期待したいところがある。3Dプリンタやレーザレカッターを駆使し、デジタルデータに沿ってモノを加工することで、従来よりも手軽にモノを生産する活動のことなのだけど、(デジタルファブリケーションを体験できるFabCafeが渋谷にあるので、興味のある方はぜひ。)

このデジファブの動きによって、小さな企業や個人がモノを作って売るようになり、大企業生産のモノばかりでなくなるのではないか、という話が色々なところで囁かれている。

そうすれば均質的なものをスケールメリットをきかせて売ることで利益をあげるスタイルでばかりではなくなるはずで、この映画で起きていたようなことは、減っていくのではなかろうか。

ちなみに、デジタルファブリケーションの先をいく話では、砂漠のケイ素からモノを造るテクノロジーなんかも出てきてるらしい。材料すらも最早成型されていなくても問題ないわけだ。技術ってすごい。

ただ、ぼくが一つ大きな問題だなと思っているのは、雇用の問題だ。
もしデジファブの動きが加速すれば、基本的に製造関係の仕事は、大量の人を雇う必要がなくなる。

日本の場合、工場を中国などに移しているとはいえ、まだまだ国内生産している所もあるはずだが、中小企業がデジファブ機器を取り入れたとすると、人員削減は必至だろう。

仕事を失ったひとたちはどうなるのだろうか?いくらデジファブ文化によって気軽にモノを生産できるようになったとしても、みんながビジネスを始めるとは思えないし、儲かる成功例ばかりでもないはずだ。

個人的な可能性として信じたいのは、この製造業のさらなる効率化が、かつての食料生産のような役割となって、世界がさらに発展していくことだ。

我々人類は、定住化して食料生産ができるようになることで、技術、娯楽、文字などが発明することができた。

それと同じように、製造業という一次産業の次に生活に必須な産業がさらに効率化されることで、その余剰分によって、世界を変えるような新たな出来事が起こるのかもしれない。(詳しくは下記をどうぞ)



と、グルグル考えると、今まで世界を変えてきたのはB2B面の技術革新で、B2C面では革新的な技術が詰め込まれた商品を使ってもらうためのマーケティング、なんだと思う。(広すぎてそれビジネス全部やん、て感じだけど)

そしてその二軸を横断的にカバーしてるのがデザインかな。デザインが本来社会的活動だったことを考えても、今後もデザインからは大きな力が生まれるんだろうと思う。

その3つに対してどういう風に関わっていきたいのか、どれにケイパビリティがあるのか、考えながら精進していきたいですね。



そんな風に世界と未来に目を向けて考えるきっかけを与えてくれた、良い映画でした。本当にオススメです。


*(追記)*
「こんな映画は見ちゃいけない」というブログの批評は、ぼくとは違う観点がメインで書かれているので、載せておきます。映画を客観的に捉えたい方はぜひ。
ファーストフード・ネイション

2012年10月24日水曜日

[TED] Break The Bias-枠外思考

少し前に見たTED動画で面白いものがあったのでご紹介。

Break the bias: Hideshi Hamaguchi at TEDxPortland 2012


スピーカーは、デザインコンサルティング会社ZIBAの戦略ディレクター・濱口秀司さん。
最近デザイン思考の定義と不確実性という題で、Enterprisezine ビズジェネにインタビュー記事の連載が掲載されています。

このプレゼンでは、イノベーションを興すための思考法が説明されています。言うは易く行うは難しなのはもちろんなのですが、その中からぼくが共感した考え方を2つ挙げたいと思います。


●RE-CHART
冒頭から濱口さんは"Re-chart"という考え方をお話されます。
自分たちの領域が四角形として与えられた時、その中で動きつつ、新しい方向性を与えることで、コントローラブルだけどイノベーティブなものを生み出す、ということだと思います。

●Shake The Chart
物事にはScopeとObjectiveとPerspectivesがあり、それぞれを動かしてみることで見える景色が変わるという話です。

例えばScope。
広いScopeで見てみたら大きな山だと思っていたものが、狭いScopeで見ると川の上でボートに乗っている人がいることがわかり、最後に中間くらいの広さにScopeを変えてみたら、なんとそのボートは滝に差し掛かるところまで来ていてることがわかった、という喩え話が紹介されています。

物事を考えるときに、「今常識として考えられているルール=スコープからいかに抜けだして思考するか」というのが大事なのではないかと最近思っています。ぼくは「枠外思考」と呼んでいるのだけれど。

で、その枠はこのプレゼンでいうならバイアスとして最初与えられているもので、それをスコープをずらしたり、大きさを変えてみたり、そういう思考法をしていかないと新しい価値は生み出せないだろうなという感じです。

自分自身、調査をして分析作業をメンバーとしていても、調査の段階で感じたことがいつの間にか枠として固まってしまって、自然とその枠の外に漏れたことの印象が薄くなってしまったり、その枠の中に収めようとしたり、その方向性=パースペクティブを固定化してしまっていたり、することがあります。
でもそれは本当は危険なことで、そこに「枠」があることをしっかりと認識しておかないと、誤った解釈をしてしまうのではないかと。

この枠を動かす考え方は、論理的にもできるし、逆にアイデアオリエンテッドでもできることで、日頃からそういう癖をつけていくしかないのかなと考えています。

たとえば、「1トンの肉があったらどんな焼肉するか?」とか。このときに「焼肉」というと「食べる」ことをセットで想定してしまうけど、「食べない焼肉」だってあるかもしれないですよね。

「宝くじで1億円あたったらどうする?」という問があったとしたら、「使う」ことが前提にあるかもしれないけど、たとえば「返金する」とかもあるかもしれないです。

これは冒頭のチャートの話でいえば、アンコントローラブルなOFF-CHARTの話になってしまいますが、そういうリフレームしていくことっていうのは、非常に大事になってくるだろうなと思います。

(数ヶ月前に同じようなことを現実の枠の外から考えるという記事でも書いていました。)

リフレームという単語繋がりで行くと、コプロシステムの棚橋さんが「なぜ?」を問うことでリフレーミングするのがエスノグラフィーの極意という記事を書かれていますね。

デザイン思考とイノベーションがセットで語られる事が多いのは、人間中心というだけでなく、その人間中心の発想から既存の枠から抜け出すことが行われているからなのかもしれません。

そんなことを考えながら、まずは小さくてもいいので会社でイノベーションを起こせたらいいな、と日々頭を悩ませています。
「意識高い系」にならないように、こういった座学から現実のアクションを起こせるよう、少しずつ動き出したいところです。

2012年10月22日月曜日

[読後感想]ブラックジャックによろしく-医療について考えたこと

『ブラックジャックによろしく』、アプリで無料で読めるてことで、13巻まで読みました。

こういう風に無料にしてくれたわけだし、考えさせられるテーマだし、感想を公開しておこうと思います。著者の方への感謝の気持ちも込めて。

1つ前に別の感想記事を書いていますが、
>>[読後感想]ブラックジャックによろしく-何かを変えるということ
今回は医療に対しての感想にしぼっています(あまり推敲できてません)。


あらすじ
「ブラックジャックによろしく」という話(の13巻まで)は、「研修医になったばかりの斎藤がスーパーローテートで複数の科を回る中での葛藤と、そのひたむきさに指導医も多かれ少なかれ影響されて変わっていく」というストーリー(だと思っている)。

根強く残る医局制度、急患受入体制の実態、病院数の不足、未承認薬品、赤ちゃんの生存権、精神障害者・不妊に対する差別や偏見(一般人、メディアの報道)、などなど、多くの医療の問題を対面する中で、斎藤は「目の前の患者の命を救うのが医者だ」という信念を元にもがき続ける。



医者の役割は何なのか、患者とは三人称の関係で
産婦人科では、「施術後のことも考えなければならない」と叫ばれる。
精神科では「退院したあとのことは知らない」と言われる。

医者の役割は果たしてどこまでなのか?命を救うことなのか、救った後のことも考えなければならないのか。

患者とは三人称の関係でいること、これはほぼどの科でも言われたこと。
斎藤のやってきたことはその逆だったし、関わってきた指導医が本当にやりたい治療は、あくまで患者にとって一人称としての医者であることが伝わってきた。

斎藤が関わってきた患者さんたちは最終的にみんな幸せになったんだと感じた。

するとやはり、一人一人の患者さんにとって、患者ではなく一人の人間として真摯に向き合ってくれることが、生死とは独立に大事なことなんだろうと思う。

自分はどんな医療を望むだろうか?



未来の医療は?
一方で、医療はどんどん進歩していて、iPSの実用化でそれこそ何でも治ってしまうんじゃないかと思う。

医療はどう変わっていくんだろうか?
ゲノム解析が安価に早くできるようになるまでに10年前後かかってることを考えると、iPS治療も実用化には技術的な課題解決に5~10年、そこに倫理的なルールの整備や治験に何年もかかるはずなので、一般的な導入は20年後くらいだろうか。

いままで助からなかった人たちが助かるのは間違いないだろうけれど、治療にはどのくらいの費用がかかるんだろう。
診療や治療が実施されるほど、医療費はかさむ。すでにGDPの1割弱が医療費(記事末に記載)に費やされている。

その医療費を支える税金は誰が払うのだろうか。
保険適用範囲内に入れられたらどうなるだろう。

20年後には人口は1億1000万人くらいだと予測されている。うち老年人口は全体の3割だ。それだけでも医療費はかさむのに、保険適用範囲内の新しい治療が増えて治療の件数が増えれば、当たり前だけど医療費に使われる税金も増える。(世界のほかの国々に比べると、平均寿命に対して1人当たり医療費が低く、効率の良い医療が行われていると言われているらしい。平均寿命と医療費の相関から医療効率がはじき出せるとは全く思わないけれど。単純な食習慣などの方が負荷量としては大きい因子だろうから。)

労働人口と高齢人口のアンバランスだけでなく、家計の平均年収も下がっていると言うし、今まで国内で稼いでいた人たちが海外に行ったら、ますます一般人の負担は増える。

医療技術的な発展によって、完治する病気が増えても、たとえばダビンチの応用で普段の診察も遠隔で出来るようになったとしても、そのコストを払う仕組みが追いつかないイメージしかない。結局医療費を払うのは国民全員。
個人的にはそういった医療の仕組みの方が気になっている。




グダグダと感じたたことを吐き出しました。
医療、みんなに身近なことだけれど目線がどうしてもサービス受ける側だけに偏ってしまいがちだけれど、仕組みまで視野を広げていきたいなと思います。政治とも絡んで来るので、これからもっと医療についての理解を深めないといけないですもんね。


参考
さくっと調べた資料のURL貼っておきます。
少し古いものも多いですが、ご参考まで。

●統計上の医療費の定義
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/37-21a.html#link03
医療機関等における保険診療の対象となり得る傷病の治療に要した費用を推計したものである。
この費用には、医科診療や歯科診療にかかる診療費、薬局調剤医療費、入院時食事・生活医療費、訪問看護医療費等が含まれる。
なお、保険診療の対象とならない評価療養(先進医療(高度医療を含む)等)、選定療養(入院時室料差額分、歯科差額分等)及び不妊治療における生殖補助医療などに要した費用は含まない。
また、傷病の治療費に限っているため、[1]正常な妊娠・分娩に要する費用、[2]健康の維持・増進を目的とした健康診断・予防接種等に要する費用、[3]固定した身体障害のために必要とする義眼や義肢等の費用も含まない。

●医療費と平均寿命(2007年)
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1640.html

●厚生労働省 人口10万人対医師数など
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/06/kekka1-2-4.html

●厚生労働省 医師などの統計表など
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/10/index.html

●都道府県別医師数
http://todo-ran.com/t/kiji/10343

●2006年ごろの医療の現場と課題など
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpax200701/b0047.html

●日経グローカル データで見る地域
http://www.nikkei-rim.net/glocal/glocal_pdf/031PDF/031data.pdf

[読後感想]ブラックジャックによろしく-何かを変えるということ

『ブラックジャックによろしく』アプリで無料で読めるてことで、13巻まで読みました。

こういう風に無料にしてくれたわけだし、考えさせられるテーマだし、感想を公開しておこうと思います。著者の方への感謝の気持ちも込めて。


あらすじ
「ブラックジャックによろしく」という話(の13巻まで)は、「研修医になったばかりの斎藤がスーパーローテートで複数の科を回る中での葛藤と、そのひたむきさに指導医も多かれ少なかれ影響されて変わっていく」というストーリー(だと思っている)。

根強く残る医局制度、急患受入体制の実態、病院数の不足、未承認薬品、赤ちゃんの生存権、精神障害者・不妊に対する差別や偏見(一般人、メディアの報道)、などなど、多くの医療の問題を対面する中で、斎藤は「目の前の患者の命を救うのが医者だ」という信念を元にもがき続ける。


現状の問題と向き合うこと。みんな初めは考える、でも考えなくなる。
斎藤が回った科の一つに産婦人科があり、そこで不妊治療の末生まれた双子とその両親出会う。
未熟児で生まれた二人。新たな命に感動するのもつかの間、双子の一人が、ダウン症であり、かつ早急に手術が必要だとわかる。
そこで思わぬ展開になる。父親が断ったのだ、その赤ちゃんたちの親になることも、手術させることも。

斎藤は「なぜ何の罪もない赤ちゃんが死ななければいけないのか」と、なんとか赤ちゃんたちが生きられる方法を探す。指導医にも意見をぶつける。指導医は激怒した。
「自分だけが考えてると思うな!」

斎藤はひるまないんだけれど、ぼく個人にはすごく印象的な言葉だった。
みんな一人一人考えているんだということ。
自分の一生懸命が、時に人を傷つけることがあること。(自分の現状批判意見を主張することによって、その現状にいる当事者の人たちの努力を暴力的に無視している。)自分がちょっと考えたことなんて、経験者の人たちはみんな通った道なのだということ。そして大半の人たちは、そういう問題のある環境に慣れていくのだということ。慣れていかなければ潰れるのだということ。


逆に、小児科の指導医はこう斎藤にこう言った。
「医師には2段階あるようです。医師としての使命に燃え、理想を追う段階。そしてその次・・・全てをあきらめ、目前の患者だけを黙々と診療し続けていくという段階です。」

医療現場には、斉藤が見つけた問題以上にたくさんの問題が恐らくあって、経験者の人たちは変えなければいけないはずのそれらの問題を知っているはずだ。
けれど、より多くの人を助けるため、出来るだけ新たな問題が発生しないようにするため、何より医者が潰れずに治療を続けられるようにするため、全体最適を考えた結果、権力者が作った既存のルールに収まってることがよいと、結論づけられてきたんだと思う。


少しでも、何かを変えるためには
会社と同じだ。
だから本当に変えたいと思ってる医者はまずそのルールの中で上に登り詰めようとしてるんだ。

斎藤が一番始めに出会った指導医との会話でこんなものがあった。

「教授がうんこ食えって言ったら・・・」
「それくらいの覚悟だ!私は必ず将来この大学の教授になる。教授になってまずこの大学を変える・・・全国にある永大の関連病院を変える・・・そして日本の医療を変える!」

働き始めてつくづく思うのだけれど、何かを変えるには、その機会をまず得るところから始まる。何かをするスキルっていうのはもちろん大事なんだけれど、その前にその土俵に立つために必要なことが色々ある。モノ申すことのできるポジションにつく、自分の意見を聞いてもらうための信頼関係を作る・・・。
(B2Bに限った話かもしれないけれど)そのためには技術的なスキルよりも、「そもそも」の部分でほぼほぼ決まってしまったりする。

クライアントの抱えている課題をしっかりと把握できているか、プロジェクトの情報共有をクライアントのフロントに立つメンバー以外にちゃんと共有できているか、現場の課題をフロントが理解できているか、予算の関係でスペックダウンしたその仕様で本当にいいのか、納品レポートを最終的に誰が見るのか把握しているか・・・。

書いてみると簡単そうな1つ1つのことが、本当に難しい。スケジュールがキツキツだったら?クライアントが全然情報を出してくれなかったら?クライアント自身も問題の優先順位付けや構造化ができていなかったら?予算がないと言われたら?

万全の状態でなくても(むしろそれが普通)、相手や環境をダメ出しするのではなく、そういう小さなこと1つ1つに対して向きあっていかない限り、何かを変えることなんて絶対できない。その小さな1つ1つの積み重ねが、変えるべきなのに変えられない問題となって現れるのだから。

社会人1年目も、2年目も、仕事で学ぶことで一番大きいのは、こういった泥臭い部分ばかり。表象だけ見ていても根本的な課題には辿り着けないし、こんなもんでしょと小さな問題1つを放置していても何も変わらない。

胸を熱くする、日々の仕事に活かしていきたい学びでした。