2012年7月23日月曜日

[English] WANNABE A FUTUROLOGIST.


Do you know Mr. Alvin Toffler?
He is an author of a very famous book, "The Third Wave", and is called a futurologist.
It was first time for me to hear that word, futurologist, but now I'm one of fanatics of the futurology.

What is the futurology?
Wikipedia says as the followings.
Futures studies (also called futurology) is the study of postulating possible, probable, and preferable futures and the worldviews and myths that underlie them.
Sounds cool, doesn't it?

Learn the past, present, and think about future. A repetition of this process is the futurology.

To become a futurologist, I'm thinking we need to learn what is happening in each local community or individual in addition to studying about past and present situations.


●Small changes in local communities and individuals
We will never know the small changes if you keep looking at huge main streams in a macro scale. I really thought so when I joined an event at a new open-space cafe. There were many people feeling a gradual change in years on fields focused by each.

However, now we tend to see one trend by using quantitative analyses on Social media or whatever called "Big Data".
The quantitative analysis focuses on a majority as you know. Social media analysis will never find a new wave, just find what so-called followers are doing. In other words, futurologist doesn't care big pieces. They are keen to find small movements starting at edges.


●Opinions
Here I'm writing about my opinions/what I heard and agreed to as a amateur futurologist.

Now this world has been separated two parts completely. The one is globalization as you know, which is consisted of conventional businesses based on mass production and mass consumption. The other is a life focusing either communities or individuals based on small production and small consumption.

Globalizing business has been basically exploiting economies of scale, exploiting low-waged labors and very cheap materials, and keeping finding a new frontier where is a untapped place. It is very similar to slash-and-burn-shifting-cultivation and it wouldn't last forever because there is no frontier at all. This estimated future must push us to bring innovations, but still I can't personally image our future with this conventional model.

Let's move to stories about community life.
For instance, some people has started to try to reactivate their home towns as you know.
As for electricity, Europe and Japan has been changing the model centralized to a new one distributed to local areas.

Next, let me write about movement to a individual-based life. The point is a prosumption, production by consumers. In the past, prosumption was connected to a so-called self-service, e.g., McDonald where consumers need to take a dish to a table by themselves. We can say this as a conventional prosumption. The next stage came. It can be described with WEB2.0, user-generated contents on the internet. It is getting easier day by day to make something. This direction must keep going ahead.


●To be a futurologist-like businessman
Once you start thinking how this world is going, you could realize that knowledge on various sort of fields would be integrated. The integrated knowledge is literacy, a very important basement of futurology.

I believe this attitude and a future predicted lead my work to a more exciting and valuable one. I want to apply futurology to businesses.

Study many topics in a cross-sectoral manner, and at the same time, pay attention to small changes.
Never give up. Not spend time to boring works for short-term profits. Keep my face up, keep my eyesight up, and see possible, probable, and preferable future.

2012年7月20日金曜日

現実の枠の外から考える

最近、現実という制約からどうやって抜け出すか、ということをよく考えます。
現実の制約の範囲でしか物事を考えられないということは、現実的なことしかイメージできないということで、現実的なイメージの中でしか思考し行動することができないということ。



●現実の枠を超えないと生き残れない
1年間小さい会社で働いてみて、目の前のキャッシュを得る仕事以上に業界全体のことに目を向ける機会が多くありました。そこで感じたことは、現状のままでは会社は生き残れないなということでした。文字にしてしまうと当たり前のことなんですけど、どの業界でもどの会社でも、生き残るために、ポジティブな言い方をすれば、今はない新しいより価値のある事業を興すために、思考して実践していなかないといけないんだなと。

言うは易し行うは難し。
実際はすごく難しくて、だから価格を安易に下げたり、流行りのトッピクスの本質を理解していないのに、他の会社がやっているから・・・と焦って取り入れようとしてしまったりする。
だから会社は潰れる。
どの会社も課題を抱えているけど、なかなか解決はできない。
価値を生み出すことはできない。

現状を打破する、課題を解決するためには、インプットは必要なわけですけれど、それだけでは足りなくて、そのインプットをどう組み合わせていくか、というところで枠内思考では限界があるシーンもあるはずで。
そこを解決するための枠外思考というところでしょうか。

(もちろん、ゴリゴリやっていくならば実践する力も同等に大事だと思います。
数億円規模ならだぶん土台の思考云々よりも実践力というか突貫力でなんとか達成できると思います。)


●現実から一旦抜け出そうと考えてみた

(これを呟いたときは、『宝くじがあたっても「使わない」でしょwwまだまだ枠の中だよーw』というご指摘をいただいたのですが笑)





●現実の枠から抜けだす思考法へ
思考法を変えるために何ができるかな?と考えてみたのですが、適宜上記のような思考トライアルをするくらいしか、思いつきませんでした・・・。思考が凝り固まっているからですね(笑)

上記ツイートにツッコミをくださった方いわく、「枠の外に出ようとするのではなく、枠の外から中を覗きこめばいい」とのこと。
そうかもしれないなーと思ったものの、どうやればいいのかわからず・・・しばし考え中です。

(研ぎ澄まされてる人たちはこういう感覚的な操作法を知っていて、実践されているなと感じることが多く、これも真実なのでしょう。最近バレエやってる方々に身体のことを教えてもらっているのですが、「イメージで身体を操作する」ことを体現されています。)

みなさんは何か思考法改善のための工夫をされたりしていますか?
それ以外の実践的な方法をご存知の方、オススメがある方いたらぜひ教えてください!

2012年7月19日木曜日

セグメントの中のひと、数字の中のひと、が見えているか

マーケティングに関して、自分の頭の整理のためにまた一つ記事を書こうとおもいます。昨年「マーケティング・リサーチとやらについて考えたこともにょもにょ(思考整理)」を書いた時には諸先輩方に辛口コメントをいただきまして、マーケティングについての記事はなかなか書き辛いなーと思ったりもしたのですが・・・勇気を出して(笑)



先日書いた「今やらなければ、一生できない。今日やらなければ、死ぬまでできない。」の冒頭でこんなことを書きました。
色々と書いていて、自分が「こういう人に向けて書きたい」というその相手像がぼやけてきたというか、元々そういう人たちは存在したのか?という気持ちになってきてしまったからです。自分の勝手なイメージで、今の就職システムの被害者像を作ってしまっていたのではないか、という疑念。
ニュースで語られる就職氷河期や離職率の上昇というマクロな数値は、その数値が指し示すはずだったミクロな当該個人を描くことはできない、というより、ぼくにはその数値から一人一人の「そのひと」を描くことができないみたいです。
上記の感情はふっと出てきたものだったのですが、大学時代の研究やマーケティング・リサーチ会社でのリクルート・実査の経験で感じていた「数字への違和感、机上の理論へ違和感の蓄積」だったのかな、と今は思っています。

どんな違和感だったのか、というところを下記に整理していきます。


数字は恣意的である
数字が大事なのはわかっているつもりです。
数字は客観的な指標になり得ますし、インターネットが現れてから数的指標の使用シーンが増えてきて、さらに最近はビッグデータと言われるものもで始めて、増々数字を扱う能力というものの重要性が叫ばれている。それでもその数字だけではうまくいかないのではないか、という感じです。

例えば数字って、それ自体客観的なんですけど、その解釈って実は主観的で恣意的なんですよね。
最近少しずつ統計を勉強しているのですが、例えば信頼区間とか検定の話も、判断は恣意的です。

研究の話でいうと、計測も恣意的なんですよね。
ぼくは微生物を使って地下水中の金属除去が起こっていることを数字的に証明しようと研究していました。
やり方は簡単で、地下水に指定の微生物を入れて、時間経過とともにどのくらい地下水中の金属が減るかを測定するだけです。
この測定を「どういう時間間隔で行うか」によって、その実験結果から見えてくる金属濃度の変化曲線はかなり異なってきます。
時間間隔を短くするほど金属除去は急速に起こっているように見えるし、時間間隔を長くするほど、緩やかに起こっているように見えます。

リクルーティングの話でいうと、クライアントさんは「この商品はこれだけ購入者がいるはずだ。」というのに全然リクルーティングできなかったりすることもあります。
確かに購入者はいるのかもしれないけど、それ以外の指定の条件でフィルタをかけると一気に数が絞られてしまうわけです。
数字自体は真実だけれど、中途半端に数値化すると現実から離れてしまうということでしょうか。

このように、数字は客観的でもあるし、主観的でもある、難しい指標なのだと理解しています。


●コトラーのSTPは今後も通用するのか
さきほど読んだ記事で、こんなパラグラフがありました。
「どんな状況にある人のための製品ですか?」
顧客は統計的な「数」でも「群れ」でもありません。一人ひとり唯一の〈私〉がいます。その〈私〉たちが製品に求め、また与える意味は、多様です。ひとつの製品が、あらゆる状況におけるすべての〈私〉にとって良い意味を持つことなどありえません。したがって、「どんな状況にある人のための製品ですか?」という質問に明瞭な回答を与える商品のほうが受け入れられやすい。
この質問は〈私〉の立場からは「〈私〉のための製品ですか?」という質問になります。〈私〉は状況依存的な存在です。冬に屋外で凍えている〈私〉(カイロに価値を見出す〈私〉)と、夏に入浴後の〈私〉(アイスクリームに価値を見出す〈私〉)は、同じ〈私〉ではありません。-価値は製品に属さない
これを読んで、どこかで
「コトラーのSTPは静的な分析であり、これからはもっと動的な分析をしないと通用しない。・・・例えばハンドタイプのアイスが売れたのは、外にいて暑いと感じている人たちがいたから。・・・」
といような文章と出会ったことを思い出しました。

「静的な30代で世帯年収が800万以上で・・・」というような固定的なステータスによるセグメントではなく、「状況」という動的なステータスと紐付く中で、価値が認識されるのではないかという考え方でしょうか。(便益ベースのSTPとも言えるかもしれません。)

そして『顧客は統計的な「数」でも「群れ」でもありません。一人ひとり唯一の〈私〉がいます。』という記述は、まさにぼくが感じていたことでもあります。

STPはこれからも重要なマーケティングの観点から見た商品開発の重要なステップかもしれません。
ですが、「そのセグメントの中の人を鮮明にイメージできますか?」という問いかけの重要性も増して来ているのかなと。

これがペルソナ、人間中心設計、といったところに繋がっているのでしょうか。まだ勉強不足でそのあたりの関係性はわからないのですが、エスノグラフィーに最初に興味を持ち始めたのも、こういうところから来ているのかもしれません。


●個にフォーカスする
上記の流れから、一人一人の「ひと」に着目していきたいなと思っているのですが、あまりにも一人一人にカスタマイズしすぎてもビジネス成り立たないんじゃないの?と思うし、動的な顧客分析をしたとしても、同じ状況にいるような人たちがある程度の規模感で存在しないとダメなんじゃない?とも思います。

そんな疑問を感じていたときに思い出した記事がありました。AKB48をプロデュースしている秋元康さんについての記事です。
「人数が少なくとも、ある人にグッと刺さるものが必要。興味を集めさせることが大事で、100人のうち一人にしか刺さらないものを作ること、ある世代だけで大ヒットするものをつくること、それにより話題が他の世代に広がる」-秋元康が語るAKB48のコンテンツ論が面白過ぎた

秋元さんが伝えたかった主旨からはずれている気もしますが、なんとなく一人の「ひと」に注目して、そのひとのために商材を組み立てる、というのはありなのかなと感じました。



一見遠回りのような気がしても、自分たちが見ている「人々」の中の「一人一人」を見ようとする姿勢が重要な気がしているので、もう少し関連記事読みあさってみようと思います。
セグメントの中のひと、数字の中のひと、が誰なのかわかるように。

2012年7月12日木曜日

[English] Consumption of real lives suffering from something.

There are some inspiring and thought-provoking story-teller movies, photos, and whatever. We, people who are far away from it, can make us immersed in it as easily as make us get out of it.

The world described there is truly the world where they live in, but it is beyond our imagination. It is just a movie and just a photo. The world they feel real is a fake to us. We often consume their real lives as fakes. The day we see and feel it would be just a day of our lives, each 80-year life. I really hate it. Even trip or experience, for instance in developing countries, cannot make us serious. We can easily say, "This trip/experience amazingly changed my thought/philosophy.". I don't want people, including me, to exploit their lives as a textbook to teach them what a life really is.

However, at the same time, honestly speaking, the story teller does really take me back to the world even if only for a couple of hours, days and months. I totally rely on it to keep myself up for the world. I might forget my current thinking if I didn't see it. I live here as consuming the wold to think about the world.

Today, there are many people thinking just as I am. They also want to contribute to the world somehow. All we, wandering in this maze, can do is only to go forward and go back to think their lives, and to find partisans to tackle enormously huge problems prevalent all over the world.

This consumption of real lives suffering from something would never get obsoleted, but we could change the direction people go towards. People who got interested in this genre must lead their feelings and supports to real solutions. I need to become an expert on marketing or something, choose a country or a problem, and focus on it as dedicating myself to the end. Never ever forget it. Keep it in my mind.

2012年7月1日日曜日

「今やらなければ、一生できない。今日やらなければ、死ぬまでできない。」



最近仕事上で転機がありまして、「シューカツせずとも生きてけます」というブログでしたから、今回の件を詳しく書こうと思っていたのですが・・・やめました。

色々と書いていて、自分が「こういう人に向けて書きたい」というその相手像がぼやけてきたというか、元々そういう人たちは存在したのか?という気持ちになってきてしまったからです。自分の勝手なイメージで、今の就職システムの被害者像を作ってしまっていたのではないか、という疑念。

ニュースで語られる就職氷河期や離職率の上昇というマクロな数値は、その数値が指し示すはずだったミクロな当該個人を描くことはできない、というより、ぼくにはその数値から一人一人の「そのひと」を描くことができないみたいです。

ですから、これからは今までのコンセプトは意識せず、ただのブログにしてしまおうかと思います。ブログのタイトルも変えました。
自分が人生で、大切にしている言葉です。
"NOW OR NEVER. TODAY OR TO DIE."
「今やらなければ、一生できない。」
「今日やらなければ、死ぬまでできない。」
いつこのフレーズを聞いたのか、知ったのか、もう覚えていないのですが、ずっとぼくの頭の中にあって、何かチャンスに巡りあったとき、やりたいことが見えてきたとき、意識している言葉です。

このフレーズからパッと想起されるような、大きなことや頭おかしいようなことをやったことは、恥ずかしながらありません。ですが、何か新しいことに挑戦する気持ちや、将来が普遍に安定的に存在し得るものと捉えないようになったのもこのフレーズのおかげな気がします。停滞ではなく変化し続けることを目指す姿勢というか。





人間が変わるための三か条。大前研一さんの有名なものがありますよね。ぼくはその三か条の最後、「もっとも愚かなことは決意を新たにすることだ」は、上記フレーズと同じことを言っていると思っています。

変化が必要なときにその変化をすぐに起こせるかどうか。Make It Happen の精神がすごく大切なんだと。

付き合うひとも、住む場所も、頻繁に変えることはできません。
だから、小さなことから少しずつ変えていくことだと大切だと思うんです、自分の人生を楽しく、豊かなものにしていくためには。朝早起きしてみたり、夜ハーブティーを飲んでみたり。そしてもっと言うと、今の「環境」は変えずに、自分の視点を変えることによってその「環境の見え方」を変えて、「環境」が変わったように「感じる」ことだってできます。

何か不満があったり、嫌なことがあったり、気分が乗らないことがあったら、いま、この瞬間から、何かを変えてみる。いま眼前にあるクソッタレな現実を変えることができないなら、一生できない。死ぬまでその現実の下僕で居続けるしかない。

"NOW OR NEVER. TODAY OR TO DIE."

人生を楽しいものにしていきましょう。