2011年12月29日木曜日

機能主義的恋愛と存在主義的恋愛に関するつぶやきまとめ

もう一つ、過去に少し反響のあった恋愛論に関するつぶやきまとめ。


機能的恋愛主義者はつまり同質求めているのであり、Loveではなく限りなくLikeであって、相手の存在を受け入れているのではなく、自分の求めている条件を満たしてくれる相手を利用して埋め合わせているだけ。

posted at 00:55:43

同質を求めるLikeと異質を受け入れられるLoveというのはすごくよくわかる。本能が遺伝的に遠い人に魅力を感じるのと同じ原理なのだろうか。

posted at 00:52:56

「言葉にできない何かが好き」という方が、説明できる場合よりもその存在自体に対して好意を抱いてるということになるので、より想いが強い気がする。

posted at 00:51:25

相手の好きなところを明確に説明できるということは、その機能さえ充足していれば他のひとでもOKということに他ならず、あなたそのものが愛されているわけではない。

posted at 00:49:39

◯◯してくれる彼氏彼女を欲しているひとは限りなく自己愛的恋愛を好んでいるのだけど、その事実自体よりもその事実に気づいてないという状態に大抵の場合嫌悪してしまう。

posted at 00:48:09

彼氏彼女に◯◯してほしいというひとは機能的恋愛主義者であり、それはその「◯◯してくれる相手」の枕詞が満たされさえすれば、代替可能だということを示している。

posted at 00:46:38

機能主義的恋愛よりも全体観によるファジーな好意に基づく恋愛の方が好き

posted at 00:44:46

ぼくらのすぐそばにある幸せという気持ち。

ちょっと前、@mtamacoさんに対してのリプライが(ぼくにとって)かなりの反響がありました。幸せについてのつぶやきです。




この考え方にはちょうど1年前くらいにたどり着いていて、「2012年に振り返ったときにどう感じるか楽しみ」と締めくくっていたのですが、どうやらこの1年では変化しなかったようです。

そのまま過去ブログをコピペしてみることにします。



最近、22歳にして「人生幸せだ」と唐突に思い始めました。
すごく新鮮だったので、ブログにまとめながら考えを整理していこうと思います。
ぐちゃぐちゃな部分もあるかもしれないけど、今こういう気持ちでいるってことが大切な気がするのでそこにはあまり頭を使わないことにします。


とりあえず言いたいことは
・幸せに大小はない
・幸せは掴むものじゃなくて気づくもの
です。
備忘録色強めですが、暇つぶしにでも読んでいただければ嬉しいです。


■幸せに大小はない

今回の幸せだって感じるようになったその前後で何があったかと考えてみても物理的に変わったことっていうのはほとんどなくて、ただ、幸せって感覚に大小をつけなくなったかなと考えてみて思っています。どちらかというと数を数える感覚が強い。


「清々しく晴れた昼下がりに、好きな音楽シャカシャカいわせて、てくてく歩いて、それだけで踊りだしたくなる幸せ」とか、
「打ち合わせして、あーだこーだ話して、その後にラーメン食べにいく。にんにく臭くなることも、太ることも承知で、替え玉まで頼んでお腹いっぱいで苦しくなる幸せ」とか、
「実家帰って、食べて、アニメ見て、アニメ見て、アニ(ry幸せ。」とか。


こういう小さなことに幸せを感じるようになって、幸せだなぁって思い始めたらアレもコレも幸せな気がしてきて、「おーいっぱい幸せがある」ていうイメージです。

幸せとか楽しさに大小の差があると思うと、
これってほんとに楽しいのか?とか、今までで一番幸せなのか?とか考え出しちゃうけど、小さく見えるその感情が、実は感情の全てなんじゃないのかなぁっていう。


こんな稚拙な文章で後で読み返して意味理解できるのかわからないですが、
だからぼくは幸せです。



■幸せは掴むものじゃなくて気づくもの

幸せって、たいていの場合すごく普遍的で誰にでも共通の要素なんじゃないかなって思っています。
でも見つけ辛いものだから、「あるようでなくて、ないようである」、そういう不安定なもの。
その不安定さは自分の心持ちに依存していて、見つかるか見つからないかが決まる。


お金と幸せがずっと比例関係にあるわけじゃなくて年収がある程度になったら無関係になるのも、
必要量のお金があって一般的な生活を出来るようになったら、誰でも幸せになれる可能性があることを示しているのではないかと思っていてます。


なぜなら「幸せはそこにあるもの」だから、繰り返しになるけど。
頑張って手に入れたりするものじゃなくて気づくもので。
幸せになれるかなれないかは頑張りとは関係ない、頑張ってお金を稼いだりとかとは関係ない。
そうじゃなくて、今の生活の中でいくつの幸せを見つけられるかっていうところが肝なんじゃないかな。



自分の日常に溢れている幸せに気づくこと、そしてその幸せに感謝することから。

2011年11月3日木曜日

シェアアパートメントのススメ(再)

シェアアパートメントは、やはり所謂シェアハウスやコンセプト型シェアハウスとはその性質を異にしていると感じるこの頃なので、今回もシェア系住居ネタ。



コレクティブレジデンス菊名(旧名ソーシャルアパートメント菊名)について思ったことを書いてみる」を書いたときには

ぼくがソーシャルアパートメントに住んでみて感じているキーワードは、「ひとの温かさ」とか「賢い消費」。まだ試したことのないひとには是非一度体験していただきたいライフスタイルです!

だった(みたい)なのだけれど、そこに「住民の非類似性」を挙げ、シェアアパートメントをみなさんに再びオススメしたい。




言いたいことはこんな感じ。
(1)タイプの違う人たちと一緒にいると、人生に広がりが生まれておもしろい
(2)タイプの似てる人と一緒にいるのは難しくないから、わざわざ一緒に生活しなくてもいいと思うよ
(3)だからタイプの違う人たちと一緒に住もう。シェアアパートメントならそのスタイルが自然と体現できるよ


(1)タイプの違う人たちと一緒にいると人生に広がりが生まれておもしろい


「タイプの違う人たちと一緒にいる方がコストパフォーマンスよくおもしろさを味わえておもしろい」というのがぼくの意見です。同じような人たちと一緒にいる時間は拠り所として必要だと思うけれど、ずっとそこに安住していたのではおもしろい人生は送れない。おもしろい人生を送りたいのかどうかは好みの問題なのですけれど。
(こちらで似たような話を書きました>>直方体人生論)



(2)タイプの似てる人と一緒にいるのは難しくないから、わざわざ一緒に生活しなくてもいいと思うよ
※(1)に同意された方にとって、という話です

普通のシェアハウスは基本的に仲良い人たちで始めることが多いだろうし、
コンセプト型シェアハウスは同じテーマの下に集まるわけで、
それぞれ似たタイプの人と共同生活をすることになります。

けれど、同じことに興味を持っている人たちが集まるのってそこまで難しくないと思ってる。
その価値は否定しないですよ、もちろん。
(少し脱線すると、だから出会い系のソーシャルサービスにもあまり興味がわかない。そういう自分たちで操作できる出会いやコミュニケーションはTwitterでお腹いっぱいです。)

それに対して、自分とタイプの違う人との出会いはありこそすれ、自主的にうまく活用することは難しいと思うのだけれど、
シェアアパートメントはまさに自分と異なるものを自分とマージしてくのに最適な空間。

年齢も、仕事も、育ってきた場所も違う見知らぬ人たちと半強制的に共同生活をするから、自分が望む望まないに関わらず、自分が今まで見てこなかった、触れてこなかったモノやコトに触れることができるんですよね。
住民みんな全然違いますから。これが「住民の非類似性」です。


(3)だからタイプの違う人たちと一緒に住もう。シェアアパートメントならそのスタイルが自然と体現できるよ
※(1)に同意された方にとって、という話です

この「住民の非類似性」がうまく機能してる例として、
例えば、コレクティブレジデンス菊名には@nike1125くんを始めとしてTwitterやFacebookをバリバリ活用してる世代がいるんですけど、そのおかげなのか、ここに来たことをきっかけにしてたくさんの住民の人たちがTwitterを始めたんですよ。
今では仲のいい住民同士の、とても便利なコミュニケーションの場になっています。

お出かけ先も、今まであまり興味がなかったり、あってもなかなか行動に移すまでには至らなかったような、場所・イベントに一緒に足を運んでみたりするようになります。
もちろん生活スタイルとして受け入れ難いこともあるけれど、(1)に同意していただけた方にとっては本当にオススメです。


とはいえ、この物件数限られてるのでね、すぐに入居とかはできないかもしれません。お引越しを検討されている方はいますぐこちらへ!
http://collectiveresidence.com/

直方体人生論

自分を1つの直方体だと考えたときに、その立体の存在する空間が人生。
その人生という空間の中にはおもしろみを感じる点が等間隔に配置されていて、その点と立体が接触・内包したときに人生のおもしろさを味わうことができる。
最近自分と人生をそんな風に捉えています。
「おもしろさの質」というところに関しては、まだ考えが及んでいないのだけれど。


ぼくたちの立体は日々大きくなっていきます。
縦に伸びたり、横に伸びたり、奥に伸びたり。
その伸長の様子は人によって様々。

底面がとても広いけど奥行きのない立体。
底面は狭いけどとても深く奥に伸びている立体。
色んな立体があるでしょう。

で、その立体の底面は視野の広さを、奥行きは習熟度の深さを、表しているという設定です。
たくさんのことを知れば知る程、底面は広くなって幅広な直方体になって、1つのことを学べば学ぶほど奥行きの深い立体になる。
けれどその広がる速度というのは常に一定ではなくて、2次元方向の伸長よりも3次元方向の伸長の方が時間がかかる。

そうしたときに、
たとえば「1年の内364日つまらなくて1日だけとてつもなく面白いという人生よりも、ちょっぴりだけれど毎日面白さを経験できる人生の方が好き。」というタイプの人間は、時間をかけて奥行きを深くするよりも、さくっと底面を広げて、できるだけたくさんの「人生のおもしろさを感じる点」に触れていく生き方の方が人生楽しめるだろうなと。

ぼくはこのタイプの人間なので、色々なことに興味を持って、初めての経験をたくさんして、自分とタイプの違う人たちと出会っていきたいと思っています。

みなさんはどちらのタイプでしょうか?
「幅広派」なのか「奥行き派」なのか。


追記:

その前に「幸せであればいい派」なのか「それだけじゃ満足できなくておもしろさも欲しい派」なのかって問がありますね。
いや、そもそも「人生の目的なし派」なのか「人生の目的あり派」なのかという問もあるか。「人生の目的なし派」でなければ、人生の楽しみ方なんて考える必要ないわけだし・・・。
あぁ、まとまりきらない(笑)

2011年10月8日土曜日

[English] I've been to Tohoku areas where 3.11 earthquake and the previous big typhoon have hit.

Hello.
Today, I'm writing this entry in my poor English because I'd like to people who can't understand Japanese know the situation or what one of Japanese think.(There is another reason that I don't want Japanese to read this blog post because this topic is sensitive.)

Where I went was Ishinomaki city in Miyagi. You could see unbelievably devastated situation easily if you were there. However, letting you to imagine the depressed scenes is not what I'd like to do. So I will tell you what I thought.


●Beautiful nature
I often gazed in wonder at beautiful nature there. You know, there are remains of houses and cars that washed away, but I couldn't feel sad all the time thanks to it. The splendid views on the beaches and from the mountains have been making people relax as well, to some extent, regardless of their conscious. (even if there were lots of floating bodies soon after 3.11.)

Also, fishes and meets are so delicious. One of my friends who moved to Ishinomaki city from Tokyo in order to give a help to them said, "it is nice that I can eat delicious and fresh foods easily instead of being in convenient." It hit me that we pay for something in nature that people have for free once, in exchange of convenience or material abundance that don't necessarily mean being happy.

At the same time, I think that if the earthquake hit Tokyo where has no nature, it would be a kind of hell. Everything would go off. The atmosphere would get gloomy and depressed. I don't even want to imagine that.


●People have their wills
On the last day to work, we went to the area typhoon has hit although people didn't have any damage on 3.11.

Then, it was the first time to work with people as talking something. The most surprising thing was they were so energetic and vital. They looked no longer depressed. They rather had warm hearts to take care of volunteers as giving food and drink, that were provided by some companies.

There was no difference among men and women, the younger people and the older people. They had their wills to get their own lives back same as before. We just follow their instruction given by women most of the time.(This was surprising for me too. Most of the men living there also didn't understand what they should do same as volunteers on some parts. haha)


●To just follow them
It would be tough and so long way to go. We must support them. But it doesn't mean we must feel sorry for them. Their future will be bright as long as they have their wills. What we should do is to just follow them as volunteering or donating without any concern. We can revitalize Japan together.

If you have any opportunity to come here Japan to go to Tohoku area, do not be too serious. I think they would look happier with beautiful nature than you think. They live their own lives.
You could see warm and energetic people there although I'm not sure what they actually think.

2011年10月2日日曜日

「世界がつまらないんじゃない。お前がつまらないんだ。」



はい。
久しぶりに思い出したフレーズです。
みなさんも同じようなメッセージを耳にしたことはあるかもしれません。

一昔前にはRICOHのカメラのコピーとしても
同じようなメッセージが書かれてました。

電車内の広告で見つけて、しみじみと納得したことを今でも覚えています。



世の中には色んなモノ・コトがあります。
面白いこと、素晴らしいこと、楽しいこと、わくわくすること、感動すること、泣けること。
日常のこと、非日常のこと。

でもぼくらは、この世界に散在している素敵なモノ・コトたちのほとんどに気づいてないと思うんです。
特にマニアックというか、ハイレベルなものたち、はその素晴らしさを理解されていないんじゃないかなぁ。
(逆に有名なモノ・コトたちは、その本質を抜きにして賞賛されすぎてしまっている、ということもあるかもしれません。)

そういう世の中にたくさんある素敵なモノ・コトたちを、「素敵!」と感じることができるようになれたら、きっとぼくたちの人生はもっと楽しくなる。色鮮やかになる。



そんなことを日本のヴィジュアル系アーティストであるMIYAVIのパフォーマンスを見て感じました。



どうですか?
(これ好きな方、ぜひお友達になりましょう(笑))

正直好みの問題がありますので、この動画を見てどう思うかは置いておいて。

この動画の再生回数は「209,081」です。
たくさんのひとに好かれている音楽の再生回数と比べると、少ないですよね。

それは恐らく彼が相当エッジが効いてて(というか効き過ぎていて)大衆受けしないからだと思うのですが、ヨーロッパで高い評価を受けているようです。(この傾向は日本のヴィジュアル系音楽全体に言えることのようです。)

ぼくは日本人ですが、この曲が好きだしMIYAVIが好きなりました。
楽しめる音楽が増えて幸せな気持ちです。

それはたぶんぼく自身がギターをやっていたからなのかと思ってます。
だから彼のスラップスタイルのかっこよさに、1人のギタリストとしてシビれるんだろうなぁと。



これはきっと食で言えば「隠れた名店」のようなもので、
「見た目はぼろくさくて美味しくなさそうなラーメン屋さんが、実は隠れた名店でマニアの間では人気」みたいな。マニアしか気づけないお店。


縁の下の力持ち的テクノロジー分野も、その恩恵は受けていたとしても、素晴らしさに気づいてないひとがほとんどでしょう。

少し前NASAが発見した「DNA中のリンをヒ素で代用することのできる微生物の発見」覚えてますか?(実際には疑問の声も挙がっているようです⇒<続報>NASAによる「ヒ素DNA細菌発見」は間違っている?

このとき、この発見の意義を理解できる方々(専門家やこの分野を専攻されていた方)がブログを公開し、この発見の素晴らしさを説明しようとしていました。Twitter上では「宇宙人の発見」を期待していたようで、多くのひとが落胆の声を挙げていたからです。

説明を受けても、この発見をしたひとたちや同分野の研究者のひとたちと同じだけの興奮は、味わえないでしょうけれど。



ここにぼくが例を挙げた以外にも、きっとたくさんの素敵なモノ・コトたちが、多くのひとに気付かれぬままになってしまっているんだろうと思います。

基礎知識、経験があって、親近感の湧いたり、理解できるものでない限り、その本質に到達できない(というか意図的に到達しようとしない。)

それは逆に多くのひとが、世の中に散在する素敵なモノ・コトたちに気づかぬまま人生を終えているということ。

お互いにとって哀しいことだと思います。


だからぼくは、多くのことを経験し、学びます。
現在の仕事に関わること、将来の仕事に関わること、それだけが学ぶべきことじゃない。

不勉強のせいで世の中を楽しめないのなら、ぼくは勉強する。
マスターできなくてもいい。その素晴らしさを理解できる程度には、知識と経験を持ちたい。

対象は何でもいい。
友達から理解してもらえないものだっていい。
仲間が少ないものだっていい。

楽しめることが増えれば、世界はもっとおもしろくなる。人生は色鮮やかになる。
1つ学んで1つ経験すれば、それがぼくの人生を彩る新しい色になる。

だから色々なことを経験し、学ぼう。
そんな決意をしたくなった夜でした。

2011年9月20日火曜日

帰る場所

それはぼくにとって浜松。
小学校1年生から高校3年生まで。

大学の4年間は横浜で育った場所ではあるけど、そこは帰る場所じゃない。
そんな気がする。


そんな浜松にたまに帰ってきます。
新しいお店ができていたり、昔よく使っていたお店がつぶれていたり。
新しい家が建っていたり、だれかの家がなくなっていたり。
「ここよく行ったねぇ。」と車を運転しながら話すのだけれど。

過去の記憶をなぞるという体験はなかなかいいものですよね。
手をつないでる地元の高校生カップルとか見ると、
異様に懐かしさを感じたりして。

それから、実家に帰る度に車っていいなぁって思う。
自分の大切なひとたちだけの空間で、コミュニケーションが生まれる場所で、
そのときにかけていた曲とか何の車に乗っていたとか、車と結びついた記憶が思い出される場所。

家の中では、「昔あんたはこういう子だっただよ~。」なんてよく言われたりもする。
今回はぼくが幼稚園のときのお絵描きしたものなんかが押し入れから出てきて、余計昔話に花が咲いた。
もちろんこれからの話もする。

ちなみに、単身赴任中の父にとっても帰る場所になっているようで、
浜松にあるこの家に帰ってきて庭の手入れをすることがリフレッシュになっていると、母が言っていた。

2年後、母もこの浜松を離れて父の赴任先へ行くそうなのですが、この家を空き家にしてしまっても、誰かほかの人に貸すとかは考えていないみたい。


「帰る場所」ってなんだろう。

マイホームのある場所?
放っておけば、住宅そのものの価値はなくなり、
価値のあるものは敷地だけになるそうだ。
それでもここにマイホームを建てたのはなぜなんだろう。
借家ではだめだったのか。


長く住んで過去の思い出をつまっている場所?
昔通った小学校や、中学校、高校がある地元。
過去の記憶を振り返る事が出来る場所がやはり帰る場所なのだろうか。


家族のいる場所?
どんな場所であれ、おかえりと言って、ただいまと言ってくれる家族。
いつまでも自分のことを心配してくれる家族。
昔話をみんなでしてくれる、自分を育ててくれた家族のいる場所こそが帰る場所なのだろうか。


マイホームを建てて、代わりに懸命に働くような人生はあまり魅力に感じていないのだけれど、やっぱり子どものことを考えると、ある程度定住した方がいいのかなぁと、浜松に帰る度に思う。


でも、「家族のいる場所」が帰る場所なのであれば定住する必要はなさそうだし、「思い出の詰まっている場所」にしても、たとえ毎年家族で生活する場所があれば、その条件は満たされる気がしています。


さてはて、みなさんにとって「帰る場所」ってなんですか?
みなさんにとって必要なものですか?

ちらほら「ノマド」という言葉を目にするので、
その反対語としてちょっと考えてみたいなと思っています。

2011年9月19日月曜日

マーケティング・リサーチとやらについて考えたこともにょもにょ(思考整理)

4月からいまの会社で働き始めて、仕事しながら本読んでみたり、ほかのリサーチャーさんのお話を聴いてみたりして、リサーチについての考えがまとまってきたので残します。

いわゆるマーケティングに興味あるひとたちからは少し離れてしまうかもしれないけれど、マーケティング・リサーチに興味を持ってる学生さん(あまりいなそうだけど)には少しはお役に立てるかなと思いますので、どうぞ御一読くださいませ。
(もし玄人の方でご覧になられてる方がいらしたら、アドバイスいただけたら嬉しいです)



■人間はとてもいい加減な生き物
ラップアップしてしまうと、ぼくがマーケティング・リサーチに対して思っていることは一つで、「人間はいい加減な生き物なので理性的な調査をしても意味ない(かもしれない)よ。だからそういういい加減の人間の考えてることを(より)正しく吸い取ることのできるリサーチにこそ価値があるし、そういう手法を開発したり地道なところで工夫したりすることが一番楽しそう。」ということです。


インターネットが出てきて、誰でも「リサーチ」がかけられるようになったり、安くて早いWEBリサーチの比率がグワーっと伸びてきたりしてるけれど、結局言語や人間の意識的思考に頼る調査のあり方は基本的に変わっていません。
だから如何に本音を言わせるか、無意識下にある思考を引き出すか、とかっていう工夫や、ノンバーバルな手法の開発の必要があると思っています。
そうしないと、表面的なことしかわからない。人間は企業の調査に答えるために生きてるわけではないですから。

たとえば
「このAという車ほしいですか?⇒はい、いいえ」
という問いがあったとします。
その結果80%のひとが「はい」と答え、残りの20%のひとが「いいえ」と答えました。
このリサーチ結果を見て、Aという車を市場に出すか出さないか判断しろと言われたら、GOサイン出しますよね、普通。
でももしかしたらこれ、「このAという車はほしいですか?⇒はい(お金はないから買わないけど)」という回答かもしれません。もしそうだとしたら車は売れない。

これはすごく簡単な例で、むしろそんな調査票作っちゃだめなわけですけど、ぼくらが気付いていないだけで、そういう齟齬が作り手と読み手で生じてることってたくさんあると思うんですよ。こんな風に言語解釈は不安定で、前提とするにはもろいものなんだと思うんです。

しかもこれからは日本の会社だって同じ日本人に対してでなくどんどん新興国で調査していく時代なわけですから(海外の調査会社はもう世界中に支社があります)、余計無意識下の前提が牙をむく。

「調査なんて本当に必要なの?成果出してるの?」

そんな視点を下記3冊の本が教えてくれましたと。

ルディー和子
ダイヤモンド社
発売日:2005-09-01



シーナ・アイエンガー
文藝春秋
発売日:2010-11-12



■エスノグラフィー
だからそうではなくて、そういう前提全てとっぱらった状態でできる調査がしたい。
人間のいい加減さに引っ張られやすそうな定量調査は最終的にやりたい調査ではなく、まだそのいい加減さをかいくぐって消費者のインサイトに近づけそうな定性調査をどちらかというとやりたい。

でももっともっとさら地からの調査みたいなものに憧れるし、途上国で、営利活動にも非営利活動にも役立つリサーチができるようになりたいと思っているぼくとしては、エスノグラフィーという手法が今のところ一番気になっています。

エスノグラフィーってまさに「表面的な事象ではなくてもっとディープな消費者の考えを汲み取るリサーチ」なんです。

どういう調査かというと観察する調査です。
P&Gが中国の内陸の経済的に貧しい層のひとたちのお家にお邪魔して女性の美意識について調査したりとか、サムスンには「1年間有休で現地で生活してこい」っていう制度があるとか、花王さんの例とかたぶんもっとたくさん事例はあると思うのですが、「現地のひとたちの生活に溶け込んでそこからゼロベースで消費者の嗜好、思考をじっくり時間をかけて探る調査」という認識を自分はしています。

こちらの記事(「花王のエスノグラフィーとカネボウのニューロマーケティング。」―Beauty Science, Beauty Marketing.)がぼくの説明なんかよりも100倍わかりやすいと思うのでご覧ください。

ちなみに、ぼくがこのエスノグラフィーという調査に興味を持ったきっかけはこの本なんですが

アフリカのマリで研究をしていた文化人類学者の方が書いた本で、浅い質問しかできない、調査側の仮説や前提がある程度正しくないと意味をなさない、定量調査ではわからない(と思う)ことが次々と判明していくんです。
(どういうことが判明していくのはについてはこちらこちらの記事に書いてありますのでぜひご覧ください。)

しかしながら、実際エスノグラフィーはメソドロジーとして確立しようがない方法だし、お金も時間もかかるし、「エスノグラフィー万歳!」とか、そういうわけにもいかないですけれど、博報堂が去年からエスノヴィジョンという手法を提唱したりしてるので、出遅れてはいるけど、日本でも注目されてる手法であることに間違いはないと思います。

ぼくが一端のリサーチャーになる頃にどうなってるか全くわかりませんけどね(笑)


■さてさてではこれから何をしていこうか
まずリサーチャーとして日本にずっといて、日本企業相手に日本市場での調査だけしていくのは難しいだろうと思います。実際結構小さいところは潰れてるみたいですしね。

理由としては二つあって、
まず業界としてマーケティング・リサーチの市場も小さくなるだろうから、どこの会社も基本は大変なわけで、なんとかリサーチ部門を内部化してる/するだろう。

たとえば調査が必須な広告業界でいうと、電通は電通リサーチがあるし、博報堂は2008年に調査会社を子会社化してるし、調査できる場所を確保してしまえばあとは自社でなんとかできるんじゃないのっていう動きが、コスト面を考慮して起きる/起こっている。(調査をするのとできるのは違います)。

二つ目に、上と同じ考え方でいけばMROC(Marketing Research Online Community)はそういう調査を内部化できる場所だと思うし、そうでなくても自社で消費者コミュニティを作ってしまえばいい(内部化という観点で言えば、昔からネットグルインや掲示板グルインというものがあるそうです)。ジャンプでいま連載中のバクマンの七峰くんの会社みたいなものをオンライン上に作るイメージをぼくは持っています。
アットコスメなんかもう化粧品ユーザーやヘアケアユーザーの集まる場だし、Facebookのグループのようなものを使ってもオンラインコミュニティは作れそう。

それからCSの調査なんかであればTwitterでやれないこともなくて、かまどかのアカウントはPRとCSの調査をしているんだと思ってます。

というところで、海外マーケットのリサーチもしくはインバウンドで日本マーケットでの調査に対応できるようにならないと大変かなぁと思ってますと。

ただ、リサーチの仕事って会社ではなく個人にノウハウが溜まっていくので自分が頑張りさえすればそこそこ価値のある人材にはなれそうな気がするので、もうやるしかないなぁという感じで。

じゃあ何をがんばるんじゃという話ですが、結局調査はそれぞれの手法に対してそれぞれの役割分担があるし、実行するフェイズやシーンがわかれているので、なんでも勉強・経験して、一通りの調査手法についてはわかるようになる必要はあるかなと思っております。

なので、最近統計の勉強を始めました。基礎固めつつ、Rツールを使えるようになりたいなぁと妄想しています。会社によっては独自ツールを開発されているかもしれませんが、将来的な自由度を考えると、会社のリソースに頼らずに調査できる能力も大切な気がしているので、フリーツールをチョイス予定。
だれかお勧めのブログ・本などなどありましたらぜひご教示ください。

あとは可能な限り早く、自分の関わりたい現場に飛び込む必要はあるなとひしひし感じているといったところです。



■参考になる本まとめ
・上の2冊は、過去の事例を引用して、マーケティング、特にマーケティング・リサーチは本当に意味のあるものなのか?という問題提起をしてくれる名著です。とてもとてもお勧めです。軽々しくマーケティングとか口にできなくレベルです(たぶん)。
・3冊目はもうぼくこのブログで紹介しすぎなので割愛します(笑)
・4冊目は上述した通りです。こちらだけ洋書なのですが一読の価値はあると思います。


ルディー和子
ダイヤモンド社
発売日:2005-09-01



シーナ・アイエンガー
文藝春秋
発売日:2010-11-12




■参考になる記事まとめ
記事中紹介しておりませんが、えとじやブログはとてもとてもお勧めです。
・実はとっても難しい、グループインタビュー - 調査方法の選択 えとじやK。
美味しくないおもてなし料理になんと言う?~質的調査の落とし穴 えとじやK。
エスノグラフィを活用した企業イノベーションコンサルティング専門チーム 博報堂「ETHNOVISION(エスノビジョン)」発足、活動開始
花王のエスノグラフィーとカネボウのニューロマーケティング。
【スタディー】「貧困問題」などと言うけれど、実際には何が問題なのか①「食」編―『Dancing Skelton』より
【スタディー】「貧困問題」などと言うけれど、実際には何が問題なのか②「病」編―『Dancing Skelton』より
日本版MROCの離陸: MROCに対する理解不足と誤解

2011年9月6日火曜日

初めて英語ミーティングに同席して考えたこと-英語圏ノリの壁-

9月5日。初めて英語でのビジネスミーティングに同席させてもらいました。

合計1時間半はあった場でしたが、
その中でぼくが話した時間は正味5分くらい。

上司に会社説明を振られて軽く話しただけで、
その他は相槌すらほとんど打てず、少し笑い話に便乗するだけで精一杯。

日本語でのミーティングとは雲泥の差でした。

散々な結果でしたが一度参加して見えてきたこともあって、
ダメダメながらも良かったこと、ブラッシュアップするために考えたことをメモしておきます。



■良かったこと
ダメダメながら良かったことは、
1)緊張しなかったこと
2)7割くらいは会話を理解できたこと

正直自分でもレベル低いと思うけれど、変に緊張してしまったり、
そもそも会話を理解できてなかったら論外。
最低ラインはクリアできてたかなとほっとしてます。


■英語ミーティングをそつなくこなすためのステップ
では最低ラインの次にどんなことができるようになればいいのか、
考えてみました。

たぶん全体のステップは大きくわけて下の3つかなと思います。
1)英語で話すことや外国の人と対面することに慣れる。理解力をつける。
2)英語力をつける(話したいことを英語で話せる力)
3)英語式の会話方法を身に付ける

1)はぼくの思う最低ライン。


次に英語で伝達をそつなくこなせるようになる必要がある。
英語を思考のスピードと同程度に口に出せるようにする。これが2)。

この2)はリーディング・ライティングとはやっぱりまったく別物で、
読めるし書けるフレーズでもそれは必ずしも話せるフレーズではなく、
そこに壁がある。これを克服するのが時間かかりそう。


そして、3)。
これは相槌を適度にうち、自分の好きなタイミングで発言をぶっこめるようになる状態をイメージしてます。
たぶんここまでできないとミーティングにはならない。

この部分は今日のミーティングでも、
普段参加してるTEDee(@Sony_Shimmeiくんが中心となってやってる英語ディスカッション会。興味有る方はご連絡くださいませ)でも必須だなと痛感しております。


日本式の「相手の会話を邪魔しない」スタイルはただでさえ英語式と正反対なのに、「この英文正しいかな?」と文法を気にしたり、自分の言いたいことに相応しい単語が出て来なかったりしてモジモジしてる間にも相手の話は進むし、そこで脳の大部分が英作思考に割かれれば、相手の発言が右から左に流れてしまう可能性もあって、大変。


■対策は?
それでどうするの?て話ですよね。
現実的で日本人がまず取り組むべきなのは3)のステップで、
もうこれは外国人と話しまくるしか道はない。
まずは英語的なノリに慣れないと、上っ面の英語だけ覚えても会話で使えない気がしています。

Oh, yes! とか I know. とか 。
I do. とか It is. とか Sure!とか。
今日だけで相槌がたくさんで、
これらを間髪入れずにハイテンションにぶち込み、自分を食い込ませて、
さらに発言をぶつけるてくるのが彼ら、だと思います。

なのでこの対策をしつつ、地道に英語力をつけていく。

ここで言ってる2)の英語力は一人でも少しずつレベルアップしてくかもしれないけど(独り言でもいいから思考を英語化すればいい)、3)は日本人同士で話しててもたぶん無理。だって言語が英語でもスタイルが日本式だから。

日本にいるひとは外国人と積極的に時間を共にする(ディスカッション形式だと◎)しかないし、もしお金や時間に余裕のあるひとなら海外行った方がいい。

もうこれはある一定量の時間を投下しないとだめだと感じました。
正直、ベルリッツやレアジョブを継続したところで何年もかかるだろうなと。



こんなに留学できたらなと思った日はないです。
環境変えないといけませんね。
その辺りは実行したらまた書きます。

2011年8月28日日曜日

「社会人」という言葉の違和感から考えたこと-①ジェンダ-②消費-

「働いている人」を1つの単語で説明しようと思ったとき、
どんな言葉を考えますか?

学生のみなさんや最近就活を経験したばかりのみなさんは「社会人」という言葉を思い浮かべるのかなと思います。
ぼくもその一人です。

そんな中、ついこの間「有職者」という言葉を目にしまして、改めて思ったわけです。「社会人」ってものすごく違和感のある言葉だなと。

どんな違和感か。

巷に色々と批判がありますが、「働く」ことに異常な価値を置いてる感じがするんですよね。

ぼくたちは「社会人」という言葉だけで盲目的に尊敬して、自分たちも「社会人」にならないといけなくて、さらにその中で「優秀」にならなくては、と思っている。


①ジェンダー
「働くな」と言いたいわけではないですけど、まずこの考えってたぶんジェンダー論の観点でいうとかなり差別的だよねっていう話を友人としたことがあります。

(ちょっと古いですけど)「女性の社会進出=女性が働くこと」という考え方も、言葉面の観点で言えば狭義の社会進出にしかなってない。社会は会社だけではないんだから。

女性が(古風な価値観における)女性らしさを有してることが評価されていない、本来女性が担っていた領域が非社会だという考え方って、昔の男尊女卑と変わらないじゃないかと思うわけです。

平等って難しいですよね、ほんと。


②消費
もう一つ思うのが「働いてお金を稼ぐ」ことから開放される道を探してもいいのではないかなぁということです。

働くことに意義を見出してるひとたちは別にして、そうでないひとは夜遅くまで働いてお金稼ぐことだけに躍起になって毎日ため息つくよりは、消費の仕方を考えて、同じ経済水準でもっと楽できる方法を考えればいいと思うんですよ、最近流行りの「シェア」のようなスタイルで。いざシェアのスタイルを実践してみると、自分の生活を収入ベースで考えていくのが少し馬鹿らしくなります。

今年の6月末時点でこんなことつぶやいたりしてたみたい。

月15万から始めて思うこと:自分のPL考えるときに収入ばかりに目が行きがちだけど、実は支出の方が大切なんじゃないかなと改めて。節約的な意味ではなくて、ポジティブに自分のQoLラインを見つめ直す。自分の願望が稼ぐことに引っ張られていきがちな世の中だから。less than a minute ago via SOICHA Favorite Retweet Reply



日本なんて人口減ってくわけですから、会社が頭ひねって新製品開発したって所詮パイの共食いなわけで、どこかの会社が製品が売れればどこかの会社の製品がそれだけ売れなくなるわけです。

新たな市場創出とかいってもだいたいトレードオフ。仕事の総量が自然と増えていくことなんて国内に限ってはそうそうないことはみんなわかっているのだから、今までの常識にとらわれない発想を大切にしたい。


参考
ちなみに、こちらのTEDのスピーチが「シェア」なども含めた、
Collaborative Consumptionという消費スタイルを提唱しています。
面白いのでぜひチェックしてみてください。




2011年8月20日土曜日

The way to choose

It's been a while.
I'm writing down what I think about choices not to regret in my long life to go.

<Useful materials about choices>






シーナ・アイエンガー
文藝春秋
発売日:2010-11-12





<My opinion about choices>

What is a good choice? How can we get it?
It doesn't depends on the numbers of choices, but depends on a perception that you chose it by yourself.
The point is just going your own way after choosing, is not a choice itself.


To be optimistic honestly.
To have confidence if you don't have any evidence to indicate it.
To believe yourself
etc,etc.


It's kind like religious, but our happiness is brought by inside ourselves. Our environment had nothing to do with it.
There is no appropriate way to go. Just make it by ourselves.





「選択」について考えるのに有益だった素材まとめ

ご無沙汰です。
オダです。

「選択」に関する自分の結論を残しておきます。
これからまだ先の長い人生。後悔しないように。


<勉強になった素材まとめ>






シーナ・アイエンガー
文藝春秋
発売日:2010-11-12





<選択について思うこと>


満足する選択とは何なのか?どうすれば手に入るのか?

1)「選択肢の数」ではなくて「自分で選択したという認識」であり、
2)「選択」自体よりも選択後に「その道を信じて邁進できる力」なのではないでしょうか。


バカ正直に楽観的であること、
根拠のない自信、
自分を信じること、
などなど、


宗教じみでしまいますが、
自分の幸せは結局に外部環境ではなく内部環境依存するものなんだと思います。
自分の選んだ道が初めから最適な道なことなんてなくて、自分自身が最適な道を創っていく。
それだけですよね。

2011年7月3日日曜日

[English] What the Social Apartment is.

Hello.
For practicing my English, I just decided to start writing blogs in English.
Does anyone up for it with me? lol If so, please let me know :) Not to hesitate and get embarrassed to use English is the key point for improvement of English I think.


Today, Im going to write down about Social Apartment where i now live. Social Apartment is a new-style residence. Its traits are followings:



1)you live there with more than 30 residents.
2)you have each own rooms.
3)you can use a shared lounge and kitchen.
4)you have time to talk with Japanese easily.

Here is a link of Social Apartment Concept:


So, it's different from a dorm and a shared house. We can live rich without getting rich.
If you are going to come here, Japan, Social Apartment is highly recommended!

Here is a link of Social Apartment Kikuna where i live now:


It's short, but I stopped it here. I think it's important to keep longer.
If you find any mistakes, please let me know :p

2011年7月2日土曜日

コレクティブレジデンス菊名(旧名ソーシャルアパートメント菊名)について思ったことを書いてみる

つい先日オトナの事情により改名された我が家です。

改名に際していまの生活スタイルについて考えたり、
はたまた友人でコレクティブハウスに関心のあるひとと話たりして、

ソーシャルアパートメント(ぼくにとっては固有名詞というより「シェアハウス」と同列の、居住スタイル概念を示す言葉という感覚があるので、そういうニュアンスで以下使います)がもたらしてくれるものは何なのか、というところについて書きたいと思います。




<まずはソーシャルアパートメントってなんぞというところの説明>

ここ最近で居住空間を共有するということの認知率はかなり高まってきていますが、みなさんの中で「ルームシェア」や「シェアハウス」と、「ソーシャルアパートメント」を区別している方はそんなに多くないんじゃないかと思ったので、まずはご紹介から。

「ワンルーム+αという発想」

ソーシャルアパートメントは、従来のマンションと違いプライバシーがしっかり確保された従来通りのワンルームに加えて、入居者同士が集まれるラグジュアリーな共用ラウンジがあり、従来のワンルームでは絶対に実現できない暮らしを提供しています。

というところで、ルームシェアやシェアハウスとは異なる居住スタイルなんですよ。

まずはソーシャルアパートメントのHPやぼくも住まわせてもらっているコレクティブレジデンス菊名(旧名ソーシャルアパートメント菊名)のHPをご覧いただいて、イメージを膨らませるのが早いかと思います。


<居住空間を共有することのメリット>

ルームシェア、シェアハウス、ソーシャルアパートメント、3つどれも共通してのポイントはやっぱり「常に誰かがいる」ということ。

こうやって書くと若干オカルトチックな響きになってしまいますが、要はいつでも話し相手がいるということであり、誰かの会話が聴こえるということ。

働き始めて1ヶ月くらいした頃、同じく住人の@kanchan_rと、「一人暮らししてたらまじで精神的にきつかったよね」とよく話していたけれど、これは今も変わらず実感していることです。

毎晩22時~0時の間に帰ってきて本当はすぐにでもベッドインしたいんだけど、ラウンジスペースに行けば誰かがいるからふらっと寄って他愛もないことを話す。

この時間がなかったら頑張れなかったと思う。
「ただいまー」って言って、「おかえりー」って返してくれるひとがいるのは本当にいいもんです。


6月の初旬頃、予定のない日曜日にたまたま3,4人がラウンジにいたときがありました。
ちょっとオシャレな曲を流しながら、つつましげな和食4品くらいを出し合ってのんびり食べるお昼には、ほっこりとした幸せを感じたりして、これもまた「常に誰かがいる」からこそできることなのかもと思ったり。

こういう「普通の日常がほっこりと幸せ」みたいな感覚については、つい最近@harunaさんが書いていたふたつめの家。という記事の中でも感じたことでした。

授業終わってへとへとになって家に帰って、おかえりー、とか言われて、あーおなかすいた、とか今日まじで大変でさあああ、とか言いながらごはんをつくって食べるとか、明日洗濯したいんだけどなんか洗っとくものあったら出しといてとか、今日安くてナタデココゼリー買っちゃったから一個食べていいよ、とか、そういう感じです。



<ソーシャルアパートメントがほかのシェアスタイルと違うこと>

単純にソーシャルアパートメントというのはその名の通りアパートなんですよね。
だから住んでいる人数が違っていて、菊名は50世帯が入ります。

この世帯数を利用してソーシャルアパートメントが提供している特徴的なスタイルが、「ラグジュアリーなライフスタイル」です。

HP見てもらえるとわかると思いますが、キレイで広いラウンジスペース、同じく広くてキレイかつハイスペックなキッチンは、ほかのルームシェアやシェアハウスでは真似できません。


もし50世帯半分の25人が1万円ずつ出資すれば25万円にもなりますから、新しいものを購入することも手軽にできたり(菊名で共同購入したのはたぶんまだたこ焼き器くらいですが・・・w)します。
デフォルト設備のハイスペックぶりが実現しているのは結局この原理。


節約することに目が行きがちなシェアスタイルですが、ソーシャルアパートメントは「安く良い環境を作る」っていうところを大切にしているイメージです。



<最後に>

ぼくがソーシャルアパートメントに住んでみて感じているキーワードは、「ひとの温かさ」とか「賢い消費」。まだ試したことのないひとには是非一度体験していただきたいライフスタイルです!

次はソーシャルアパートメントという居住スタイルでこんなことしたら面白いんじゃないかというアイデアを殴り書きしようと思います。

2011年6月29日水曜日

情報との向き合い方について考えていること

働き始めて3ヶ月。
時間が有限であることを痛感する日々が続いております。
社会人しながら色々やってる方々は本当に尊敬です。

さて、こういった時間についての話はとかく「時間管理」に向きがちだと思うのですが、時間管理が出来るようになった後は、単純に「何に自分の貴重な時間を割くのか」ということを考えていかなければならないと思います。

その中でもほとんどのひとが多かれ少なかれ時間を費やす「情報を取得する」ことについて、自分の考えをまとめてみます。

みなさんはどういった情報にアンテナを張っていますか?
どういった情報を捨てていますか?


<世の中には2種類の情報がある>

情報化社会などと呼ばれるようになって久しいですが、世の中には2種類の情報があります。それは「大勢のひとが知っている情報」と「ほとんどのひとが知らない情報」です。
みなさんはどちらに価値を感じますか?

おそらく後者ですよね。
もちろん前者の情報もあって損はしないと思います。しかしながら、時間は有限であり、前者の情報を取得する分だけ後者のより価値のある情報を取得するために利用できる時間が減ってしまいますよね。



<ほとんどのひとが知らない情報の価値>

では、ほとんどひとが知らない情報にはどんな価値があるのでしょうか。

情報を取得するという少しのコストをかけるだけで・・・
①自分に価値を感じてくれるひとが増える
②その分野での権威に会いやすくなる
③その分野でチャレンジできるチャンスに恵まれる
のという3つのメリットを与えてくれる、これが「ほとんどのひとが知らない情報」の価値だと考えています。
(このあたりについては同じSA菊名に住む@nike1125の方が実体験として持っているかと思います。彼のブログDon't be lameはまさに情報価値によるこのメリットを最大限に活かしています。)


ネットでサクっと検索すれば様々な情報にアクセスできるような時代なので、情報取得のコストは格段に低くなりました。
ちなみに、ここで重要なのはスピードです。情報は深度が浅い分、価値を発揮するには「ほとんどのひとが知らないうちに」スピーディーに情報を得られるかどうかが肝。



<情報から知識へ>

だからと言って浅い情報を得ることだけにすべての時間を使うことは効率的ではありません。浅い情報は比較的早く浸透しますし、少し時間を使えばすぐに得られる情報には、その一段階上の「知識」や「経験」に比べれば、微々たる価値しかないでしょう。精神的にも「RSSやTwitter読んでないと不安」みたいな病気になりかねません(笑)

ですから、情報をうまく操って自分の好きな分野でのネットワークや自分のポジションがとれてきたなと感じたら、今まで取得してきた情報をさらに小さくセグメント化して、「情報」を「知識」にするべきなのではないかと感じています。単なる表層の情報だけでは、実際にその分野で成果を出すには足りないだろうなと。



<目的意識を持って情報を使い分ける>

2種類の情報にはそれぞれの価値があります。
前者に関しては「常識人」として見てもらうためにはマストでしょうし、お互いに知っている情報による共感はコミュニケーションにおいて必須です。後者は上記の通り。


僕自身は国内ニュースを全く見なくなりまして(こちらは賛否両論だと思いますが)、情報収集という意味では
①BBCで途上国や新興国のニュース
②仕事に関わるニュース(MR産業のニュース、クライアントの業界のニュース、関係する国のニュース)STONE(自分の所属する団体)でアップする記事のための調べ物
③未来を考える種となる本(ジャンル問わず、自分が未来へと繋がりのありそうな本)Rising Africa(ライターをさせてもらっているアフリカ情報サイト)でアップする記事のための調べ物
の3つに時間を割いています。
※2012.11.3時点で更新

これら行いながらそれとなくアピールすることで、この界隈で会いたいひとたちに会うチャンスを増やし、かつ面白い若者と思ってもらえるようにしています。ちなみに③のライターをさせてもらえるようになったのは②で書いた記事(【スタディー】アフリカのインキュベーション・スタートアップ事情(5/3追記))のおかげです。(ここのライターのみなさんはずっとお会いしたいと思っていたひとや実際アフリカで事業されているひとばかりで、お声かけしていただいたときはかなり嬉しかった・・・)


「情報を知識へ」という意味では、読書や上記②の調べ物をかなり時間をかけて行ったりしていますが、こちらの効能に関しては経験しておりません(自分の経験が具体的に何に活きているかそもそも把握してないですが)。いまは自己満足の領域です(笑)



<最後に>

結局、時間管理時に「やらないことを決める」ように、情報整理においても「気にしない情報を決める」ことが大切なのではと感じています。
他の人が知っていることを知らない自分に焦るのではなく、他の人が知らないことを知っている自分に自信を持ってチャレンジしていく姿勢が、情報化社会におけるサバイブ能力を高めていくと思いますし、なにより「やる必要のないこと」ならぬ「取得する必要のない情報」が決まることで精神的にかなり落ち着くことができます。


みなさんはどういった情報にアンテナを張っていますか?
どういった情報を捨てていますか?


自分が時間を割いている情報群を一度整理してみるといいかもしれません。

2011年6月27日月曜日

[English] 楽しく生きたいひとへの応援歌!-I Don't Care-

みなさんFall Out Boy というバンドはご存知でしょうか?


自分に自信を持ちたいひと、
いつも他人の目を気にしてしまうひと、
ひとと違うことをしようと意気込んでいるひと、

そんなみなさんにぜひ聴いて欲しい彼らの名曲をご紹介します!
ぼくたちが生きているのは他でもない自分自身のための人生なんだ!
といつも励まされまる大好きな曲です。

PVはかなりおバカなテイストに仕上がってますが(笑)
歌詞は英語と日本語両方載せましたので、ぜひ併せてお楽しみください!



<English>
Say my name, and his in the same breath, I
Dare you to say they taste the same,
Let the leaves fall off in the summer
And let December glow feel flames

Brace myself and let go,
Start it over again in Mexico
These friends, they don't love you
They just love the hotel suites, now

I don't care what you think
As long as it's about me
The best of us can find happiness
In misery

Oh, take a chance, let your body get a tolerance,
I'm not a chance, but a heat wave in your pants
Pull a breath like another cigarette,
Palms up, I'm trading 'em (trading 'em)

I'm the oracle in my chest,
Let the guitar scream like a fascist,
Sweat it out, shut your mouth,
Free love on the streets, but
In the alley and I ain't that cheap, now

I don't care what you think,
As long as it's about me
The best of us can find happiness
In misery

I don't care what you think,
As long as it's about me
The best of us can find happiness
In misery

Said-a, I don't care just a-what you think,
As long as it's about me, you said-a
I don't care just what you think,
As long as it's about me, you said-a
I don't care (I don't care)
You said I don't care (I don't care)
Said I don't care,
I don't care
I don't care (I don't care), I said-a
I don't care

I don't care what you think,
As long as it's about me
The best of us can find happiness
In misery

I don't care what you think,
As long as it's about me
The best of us can find happiness
In misery

<Japanese>
俺の名前を言ってみろよ
そして息継ぎせずに奴の名前を言ってみろ
きっとお前はどっちも同じ味がするっていうだろう
夏の真っ只中に木の葉を落とさせてやれよ
そして12月を炎の中であかあかと照らせ
自分を奮い立たせて思い切る
もう一度メキシコでやり直すんだ
ここにいる友達はみんな俺のことなんか愛しちゃいない
ただのホテルのスイートルームが好きなだけさ ほら

お前がどう思おうと知ったことじゃない
俺に関することに限ってはな
俺たちの最高なところは悲惨な状況の中でも
シアワセを見つけることができるってところさ

俺は言っただろ お前がどう思おうと構わないって
俺に関することに限ってはな
俺たちの最高なところは悲惨な状況の中でも
シアワセを見つけることができるってところさ

ああ 賭けてみろよ
その身体に忍耐を教えるんだ
俺はチャンスじゃない
お前のパンツの中の熱波だ
もう一本タバコを喫うみたいに息を吐いて
手の内を見せろよ
俺はそいつと取引しよう (取引だ)

俺は自分の胸の中のお告げだ
ギターをファシストみたいに叫ばせろ
最後まで耐え抜け
ムダ口を叩くな
ストリートじゃ愛し合うのもタダだ でも
路地に入れば
俺はそんなに安くないぜ さあ

お前がどう思おうと知ったことじゃない
俺に関することに限ってはな
俺たちの最高なところは悲惨な状況の中でも
シアワセを見つけることができるってところさ

俺は言ったんだよ お前がどう思おうと構わないって
俺に関することに限ってはな
俺たちの最高なところは悲惨な状況の中でも
シアワセを見つけることができるってところさ

いいか 俺はお前がどう思おうと構わないんだよ
俺に関することに限ってはな
お前は言っただろ
他人がどう思おうと知ったことじゃない
俺に関することに限ってはな

お前は言っただろ
知ったことじゃない (知ったことじゃない)
お前は言ったんだ 知ったことじゃないって (知ったことじゃない)
言っただろ どうでもいいって
知ったことじゃない
知ったことじゃない (知ったことじゃない)
俺は言ったよ どうでもいいことだった

お前がどう思おうと知ったことじゃない
俺に関することに限ってはな
俺たちの最高なところは悲惨な状況の中でも
シアワセを見つけることができるってところさ

俺は言ったのさ お前がどう思おうと構わないって
俺に関することに限ってはな
俺たちの最高なところは悲惨な状況の中でも
シアワセを見つけることができるってところさ

俺は言ったのさ お前がどう思おうと構わないって
俺に関することに限ってはな
俺たちの最高なところは悲惨な状況の中でも
シアワセを見つけることができるってところさ

2011年6月23日木曜日

就活する?それともしない?

こんばんは。
メガネです。


前回の記事がブログタイトルのおかげか予想以上に拡散し(てしまっ)たので、
「シューカツせずとも生きてけます」についてもう少し考えていることを書きます。



ぼくは就活しないという選択をスタートにして、「自由なひと」になりたいと思っています。「自由」といってもひとそれぞれそこから連想するイメージは違うかと思いますが、ぼくの場合は「好きなときに、好きなところで、好きなひとと、好きなことをする」ような状態のことを「自由」と定義しています。

なぜ「自由」にこだわるのか。
そのきっかけは学部生時代の2つの出会いでした。

1) 建築分野から宗教分野に転進したアメリカ人女性
2) 19歳で "I will live in japan forever!"と豪語して本当に日本に来て永住しようとしているドイツ人女性


1)の女性はに関しては当時のツイートをtwilogで発見したので貼ってみます。印象的だったのでちゃんとツイートしてたみたい。

  • スタバで宗教?の教授してるシアトル出身のおばさんと話した。研究費で日本に来て5週間目とな。色々話したけど、すげー人生エンジョイしてるのが伝わってきたのが印象的だった。 posted at 18:20:45
  • 元々工学畑で京都の寺を構造工学?の視点から見ようと昔日本にきたときに、結局信仰とかの観点が気になり始めて、今は宗教とか信仰とかそういう分野の教授らしい。 posted at 18:22:58
  • 親も工学畑で鉄会社?に勤めてるリーマンだっから方向転換するときは止められたけど、今は教授になったしオッケーだと。 posted at 18:23:56


2)の女性はまだ直接会ったことはなく、ネットで知り合った女性です。
日本が好きというところで、2010年の初め頃にお友だちになりました。当時から" I Love Japan. I hate German guys. LOL I will live in Japan forever !"と言ってた子で、変わったひともいるもんだなぁと思っていたら、2010年の10月には本当に日本に来てしまいました(笑)いまは都内で日本語学校に通っているようです。ちなみにそのときのサイトはこちらのInterpalsというサイトです。


この2つの出会いを受けて、「学校卒業して、就活して、企業に入って」ではなく、「自分の好きなことにトライする人生」にぼくは惚れてしまったんです。
もちろんその道は茨の道なわけで、好きなことをするためには苦労することもたくさんあるだろうけれども、それでもこの2人の楽しそうな笑顔を見て、声を聴いてしまったから、もう戻れないなっていう。そういう感覚。


誤解されそうなので言っておくと、「就活すること=自分の好きなことにトライしていない」とは考えていないです。入りたい会社があるひとだとか、お先どうなるかわからない道に進むなんてリスキーなことしたくないひとだとか、好き嫌いの対象は色々だと思います。



冒頭で書いたように「自由」ってひとによって意味合いは違うと思いますし、渡辺歩みたいな破天荒なぶっとんだ生き方だけのことを指しているわけじゃない。ただきっと共通してるんじゃないかなっていうニュアンスは"To willingly choose"なのかなって考えてます。
人生は選択の連続ですが、選択肢自体が問題なのではなくて、その選択を自ら選んだと「思っている」かどうかが肝なのではないか、ということです。
「自由」なんてものを几帳面に考えようと思ったら、自由を意識してる時点で不自由だとか、外部環境から人間が真に自由になることはできないとか、そういう哲学的な話になってしまいますし(笑)


ですので、就活中のみなさまに「就活やめろ」と言いたいわけでもありません(ぼくも元々は就活するつもりでいたわけですし)。あくまで「その気」のあるひとに、就活しないスタイルをオススメしたいと思っています。
そして、「就活しない」というのはあくまで表面的な現象で、「自分が人生切り開いてるんだっていう意識を持ってみたら楽しくなるんじゃないか」というのが本当のメッセージ(偉そうだけど)です。
自分の人生なんだから、これくらい自意識過剰になって楽しんでも誰も文句言わないはず(笑)
就活するひともしないひとも楽しみましょう!


以上!



P.S
(1)この考えが固まったのは「選択の科学」という本のおかげです。

シーナ・アイエンガー
文藝春秋
発売日:2010-11-12

・自分の意志で選択しているという「認識」が本質だという考え方
・和や集団などを重視する日本のような環境で育った場合、周りの決定に合わせた方が高いパフォーマンスを発揮する
などおもしろいことがたくさん載っているのでお時間ある方ぜひ。


(2)この本の著者はTEDでもスピーチしてます。

2011年6月20日月曜日

個人ブログ開設しました。

こんにちは。
メガネと言います。


大学卒業後、書こう書こうと思ってついに2ヶ月半経ってしまいましたが、
今日から出来る限りコツコツとブログ発信していこうと思います。


本ブログでは、その時その時の自分の考えたことや感じたことを、出来る限り自分以外のひとにとっても価値のある形で発信していくつもりです。
その中で、「所謂就職活動(就活)をしなくても生きていけるよ」ということを感じてもらえたらと思っています(いまのところは)。


え、それってどういうこと?
という問に答えるのも兼ねて自己紹介させていただきます。




ぼくは大学では工学部に所属し、微生物を用いた地下水中の重金属処理について研究していました。
途上国に興味があったこともあり、バングラデシュなどで深刻なヒ素汚染問題に関わる研究テーマということで、最終的にそのまま大学院に進学しようと思っていたのですが、入学手続の書類を出し忘れました。
そうです、大学院入試試験をパスしていたにも関わらず入学できなくなってしまったのでした。

それが去る2011年3月17日のこと。

突然の出来事で驚きましたが、起きてしまったことはどうしようもありませんし、
先のことを考えました。


結果、4月から小さな会社でマーケティングリサーチに携わっています。
もちろん正社員ではありません。就活する時間とかありませんでしたからね。
たまたま知り合ったひとのいる会社にお世話になっています。

その話をすると、だいたいのひとは「大学院にはいかないの?」ということを投げかけてきます。
そうですよね、自分からレール外れるわけですし、そういう疑問は当然だと思います。

でも、ぼくにとって所謂就活に対する不安よりも「これは大学院じゃない方向に行けということなんじゃないか」、「せっかくの機会だから働いてみよう」という想いの方が強かった。
ということでひょんな形で社会に出ることを決意しました。



もちろん後悔はまったくしてません。
いまのところ薄給ですが交渉の余地もありますし、なにより小さい会社なので何でもやらせてもらえます。さらには就活という表面的な儀式に拘るよりもよっぽど伸びている感触があります。
なによりマーケティングリサーチという仕事を知れば知る程面白く感じてしまってまして、最近はどっぷりです。溺愛です。




そんなわけで、就活ばっかしてるひとたちの中で自分と似たような趣向のひとにはこういう道も選択肢に入れてほしいなぁと思ったりしています。

思えばいま就活をしないひとってだいたい「起業するひとたち」で、
「起業する」か「就活する」か
の二択な気がするんですが、
そこにアメリカ的な「インターンとかから社会にでるスタイル」が第三の選択肢になったら面白いかなっていうそういう感じです。

結局選択が正しかったかどうかって後にならないとわからないので、いまこの道を選択して数ヶ月でオススメするのもどうかとは思うのですが、
息苦しい思いして就活するよりは、こういう選択もいいんじゃないかと。


選択のスタイルは個人の好き嫌いの問題なので押し付けたりはできませんが、
誰かの背中を少しでも押せたらなと思っています。


そんな感じで、就活しなかった男の日記的な感じで
やっていくつもりです。
みなさまよろしくお願いします。