2012年12月31日月曜日

[English] Defeat Consumerism. New Year Resolution.

How have I changed myself in a year? I have had tons of opportunities for a change, but it doesn't work by itself as long as there isn't a will. I doubt that I successfully change myself because I haven't had the will.

It's like stones. There are many stones by roads, but these are just stones, which might turn out diamonds. We need to polish it to get a shiny beautiful diamond.

We face a folk in the road over and over again. Which stone do I take? Do I polish it afterwards? Every time we face it, we choose an either way.

The point is whether we waste these possibility or not. This world is changing quickly. The history tells us.

The amount of information has increased rapidly. The internet makes this world closer. We can get to other countries easily.

Costs of producing has absolutely dropped as much as of consuming has. Consumerism is not the matter of materials, is the matter of our mind.
I think I said the same thing before, but the more easily we can experience a new thing, the less inspiring it gets. It makes us under-evaluate the exact value or impact of what we experience.

So at least I must build a strong will not to waste the possibility, to polish the stone to be the diamond. That would be a change of myself.

I'm in Sydney, Australia at the moment. 2013 has been already kicked off. I have found many stones here. Whether the stones will become gems or not depends on my will against consumerism or desire for a change.

I will keep taking an action this year.

2012年12月22日土曜日

学生や新卒1,2年目の若者が就職・転職活動せずに仕事に就くのに大切なこと

実は、8月1日より別の会社で働き始めました。
前は全社で3人とかだったので、それから比べるとだいぶ規模の大きい会社です。

結果的に、今回も所謂転職活動(転職サイトに登録して~など)はせずに仕事を頂けることになりました。
元々「シューカツせずとも生きてけます。」というブログタイトルで始めたブログですし、(書き始めた当時の記事はこちら)「就活しない」などのワードで検索してくれてる人もいらっしゃるようなので、若者の転職について、書きたいとおもいます。


実績のない若者が、いわゆる就職活動、転職活動をしないで仕事に就くにはどうしたらいいのか
「就活しない」などで検索してくれている方々にとって一番気になるところだと思います。結論は、「結局やることは就職活動と変わらない」ということです、残念ながら。なぜか。

まず、いわゆる就職活動・転職活動をしないで就職・転職する(=仕事を紹介してもらう)ためには、
1)ネットワークを作り、2)そのネットワークの中で自分のことを知ってもらう、必要がありますよね。

では、「よし、ネットワーク作るためにいろんなイベントに行って名刺交換して、いろんな人とご飯行ったりしよう」と行動して、果たしてうまくいくでしょうか?ぼくはNOだと思います。大事なのは、0)自分を理解する、という3つめの要素。なぜなら、知ってもらう「自分」を作ることができていなければ、2)の自分を知ってもらうこと が達成できないからです。


相手に伝えたい「自分」を言葉にする
自分を理解するというのはいわゆる「自己分析」になるかもしれません。
ただ、この自己分析は自分の昔を振り返ったりすることではなくて(もちろん自分の特性を理解するために最低限必要な工程ではあるけれど、それをずっとしていても意味は無い)、自分の考えをまとめて、それが合っているのか検証ながら、他人を説得できる自己表現のための言葉を作ることだと思っています。

例えば、多くの就活生が、「わたしは○○してきて☓☓がしたいと思っています。」とか「△△な経験を通して◎◎な結果を残し、□□だということを学びました。」ということを自己PRなんかで話してると思います。これがダメなのか?「○○の内容がしょぼいからインターンをしろ」、「◎◎の結果がしょぼいからダメなんだ」は本当なのか?答えはNOだと思います。

そうではなく、問題なのは「そこで書いているあなたの考えは納得できるものなのか?」「あなたの考えを聞いてあなたが透けて見えますか?」ということです。つまり、多くの人は「自分の考えをまとめる」ことを一旦するんだけど、その後の検証を一切しない、それが問題だということ。上の例に合わせるなら下記のような問いかけをクリアする必要があるということです。

「○○をして☓☓がしたいと思った」のロジックに納得性はありますか?
「△△で□□を学びました」の背景にあなたの考え方が伝わっていますか?


結局は日々の積み重ね
ではこの検証はどうやって行うのか。日々の生活の中で考え、情報収集をして、検証と再構築を繰り返すことです。そうして最終的に納得性のある自己表現の言葉が出来上がり、知ってもらう「自分」が完成します。

そこで漸くネットワークを作る段階に入っても意味があり、その中で自分の考えを話していく中で、紹介の話も来るようになる「かも」しれない、というわけです。

大事なのは、自分の売り文句を常に考えていくこと。そこには筋が通ていて、その筋があなたを反映していることが必要。これはいわゆる就職活動・転職活動をしていようが、紹介だろうが、結局同じことです。

何事も楽には達成できない、ということですかね。

2012年12月5日水曜日

[イベント感想] Maker Faire Tokyo 2012に行って来ました

Maker Faire Tokyo 2012に行って来ました。
メイカーズを読み、デジタルファブリケーションにも興味のある人間として行かないわけにはいかないなと。



直後の感想としては(すごく失礼なことを承知で言うけれど)、電子工学的なモノづくりでぼくらの生活は変わらないのではないか、ということです。

理由1)ぼくらのようなど素人が展示を見ても「何がすごいのかわからない」ものが多すぎた。技術者にしかわからないものは一般消費者にはわからない。その作品の価値もわからないと思うんです。

理由2)(すごさがわからないことにも繋がりますが)生活が変わる感覚にはならなかった。遊びとしては楽しめるかもしれないけれど、必需品になり得るかというとそうではなさそうでした。

個人的に気になっていたデジファブも、「雑貨しか作れないのでは・・・?」と当日疑問を感じていました。MAKERSを読んだときは、中規模スケールでグローバルに戦える環境が手に入りやすくなるというところにすごくわくわくしたのですが、そこで生産されるモノの限界を感じた、という感じです。


デジタルファブリケーションのもたらすもの
ですが、帰宅後もう一度デジタルファブリケーションについて調べて見たところ、実は今スポットライトが当たっている3Dプリンタやレーザーカッターはデジタルファブリケーションの興りでしかないようです。今の注目のされ方はこの大きな流れからすると不本意なのかもしれません。SFCの方の説明を下記引用します。

「デジタルファブリケーション」の技術的なインパクトは、「離散的な(デジタル)物質」をつくり、製造と分解が等価になるような可逆的プロセスを実現することであると考えられます。さらにはそうした物質に「知能」を埋め込み、プログラム可能にする(Programmable Matter)ことにあるといえます。

(中略)

2010年8月に開催されたFAB6におけるニール・ガーシェンフェルドの研究ロードマップによると、
・FabLab1.0 Computer -> Machines (How to make almost anything)
・3次元プリンタやカッティングマシンで自由にものをつくる(上述)
・FabLab2.0 Machines -> Machines (How to make something that makes almost anything: Machines That Make)
・3次元プリンタが3次元プリンタを生み出す。自己増殖型機械。
・FabLab3.0 Code -> Material
・物質に「コード」が書き込まれている。可逆型マテリアル(レゴブロック?折り紙?)
・FabLab4.0 Program -> Material
・物質に「プログラム」が書き込まれている。変形する物質群(スネークキューブ?)
という順番で捉えているとのことです。
1.0と2.0はツール革命、そして3.0と4.0はマテリアル革命です。
私の予想では、さらに、アセンブラ(組み立て機)やディスアセンブラ(分解機)といった従来にないマシンがその両者を繋ぐのではないかと思います。

引用:「デジタルファブリケーション」の意味するもの

3Dプリンタやレーザーカッターによって生まれるモノそのものの価値よりも、その技術と合わせてもたらされるその先の革命にもっと目を向けなければいけないということですね。デジタルファブリケーションはこの流れで再度調べてみたいところです。この流れが本当に実現するなら、電子工学的ものづくりでやはり生活は変わりますね。

#ちなみにここで出てくる「変形する物質」に関しては、[TED]自己組織化する話にて動画を紹介しています。


未来を感じた生物機械工学系
さて、直感的に未来を感じる展示もありました。それはラボツネさん。


眼球の動きなどによって生じる電気信号を使って車椅子を操るというものを紹介していました。
この展示を見て、こういう入力系または出力系が今までと違うものに対し、未来を感じるのかなと思いました。

このとき脳波で操作するのは難しいという話を展示主の方から聞いていたのですが、とあるTEDトークではその脳波や神経などと接続して操作するという話が紹介されています。



10:38からはゴキブリの神経と脳に電極を刺し、ジョイスティックで操作するという話、
12:40からはラットをロボット化する話、
14:20からは脳波でロボットアームを操作する話、
が登場します。ここまで来ると、この動画のタイトルのように倫理的な部分で恐怖を感じてしまいますが・・・。

ぼくが感じたのは、入力系・出力系が従来と異なる新しいインターフェイスが新しい生活を感じさせているのだな、ということです。ただ現状、あの電脳コイルの世界やARの例として出されるスカウターも、すべてメガネというインターフェイスを通してのことなんですよね。

みんながメガネをかけると考えると少し実現性は低いのかと思いつつ・・・Google glassの開発には注目していきたいなと思っています。

ちなみに、Maker Faire Tokyoが開催されていた日本未来科学館の常設展示の方が個人的には面白く・・・(笑)アナグラという3階のコンテンツはぜひ体験してみて欲しいです。空間情報科学(?)という分野だそうです。

2012年12月2日日曜日

[未来トーク 001] モリジュンヤさん


さて、前回アナウンスした未来トーク第1回目を更新します!
第1回目の話し手はモリジュンヤさんです!


フリーエディター。
言葉やストーリーを通じて素敵な人やモノのことを伝えるメディアクリエイティブのお仕事。
@StartupDating 編集記者、@greenzjpライターなど、デザイン、カルチャー、IT系媒体で編集・執筆もしています。


少ない時間でお伺いしたお話なので、ジュンヤさんの考えていることの本当に一部だとは思いますが、
3つの「これからのお話」とお伺いしました。


1)空間の使い方をアップデートしていかないといけないよねという話

例えば図書館。元々は本の貸し出しのスペースだったわけではなかった。
貴族の蔵書を保管し、そこに誰でもアクセスできるようにする場所だったんだとか。
例えばシェアハウス。居住空間を、家族だけのものでなく赤の他人と共有するという使い方。
コワーキングスペースも同じ文脈。

2)素材に価値がでるのではないかという話
デジタルファブリケーションが広まって行くとする。
デザインのデータは簡単に共有され、デジタルパブリッシャーによって簡単に形になる。
すると、素材こそが差異を生み出す要素であり価値になるのではないか。
そこでは例えばフェアトレードのような、ストーリーの付随する素材の価値が高まるかもしれないよね、とか。

3)モノではなく経験によってアップデートしていくという話
人間という生き物は、昨日よりも今日、今日より明日と常に良い方向に進んでいくことを求めている。
昔はそのアップデート感をモノを買うだけで得ることができた。
今の時代はそれが経験なのではないか。



それから、未来を考えるにあたってオススメの本を4冊ご紹介いただきました。

エネルギー系

情報系

空間系

デジファブ


いかがでしたでしょうか?共感できるもの、気になるもの、ありましたでしょうか?
個人的には流行りにのってFabは気にしていて、今日はMaker Faire Tokyoに行って来ました。


このような形で、不定期で未来トークのインタビューを掲載していきます。
よろしくお願いします。

2012年11月24日土曜日

[TED] 自己組織化する話



先日見た6分TEDトークで面白いものがあった。


●スカイラー・ティビッツ:自己構築する物をつくる事は可能か?



専門的な部分の話はよくわからないけれど、ビルのような建物ですら自己構築できるようになるのかもしれないと思うとすごい未来。

2012年11月11日日曜日

結婚式に呼べる友人はいるか?


この歳(といってもまだ24歳だけど)、結婚式の披露宴やら二次会やらに行く友人が周りに増えてきた。特に女性は第1回目の結婚ラッシュのようで、1年くらいの間に5回前後はおめかしをしているように思う。

自分が結婚できるのか、したいのか、ということは置いておいて、もし仮に結婚するとなったときに自分が呼びたいと思う友人がいるかどうか、というのはこれからの友人付き合いの軸としてアリかも、というのがこの投稿のメッセージである。



自分の過去の人付き合いを振り返ると、中高の頃は勉強出来る人と、高校の時は部活の人、大学の時は、いわゆる意識の高い人、と付きあおうとしていた。特に大学の3年以降はかなり選民意識というか、「こういう友人を増やしたい」という欲が強く、フザけ合える人ではなく、まじめに議論できたり、将来のことを考えたり、自分の成長意欲を掻き立ててくれるような人、ばかりに目を向けていた。プライベートで仲良くできる人が欲しいとは思っていなかった。

それがいつの間にか、プライベートの友人を作りたいという気持ちに変わっていた。

働き出してみると、そういう成長というのは当たり前のように追い求めていかなければいけないことだし、毎日の仕事が日々成長の場である。会社の仕事にちゃんと向き合い、先輩たちの能力を吸収しようとしていれさえすれば、学び放題だ。
おかげさまで、無駄に人と会って自分の士気を高めるというような「意識の高い」行動も、ブームが過ぎ去ったのか、意味がないとわかったのか、ほとんどしなくなった。自分から「わざわざ」成長促進剤を求めるようなことをしなくなったのであった。1日12時間はそういう真面目な人間関係の中にしかいない。

一方、毎日仕事のことを話したり考えたりすることはあれど、自分のプライベートな話をできる人が一気にいなくなった。プライベートな話というのはつまり、チラ裏話である。

チラ裏話が出来るというのはつまり、相手にとって何の価値もないと分かり切っていることでも、臆せずに話ができるということであり、それは相手の時間を暴力的に奪っているにほかならない。
楽しかったこと、つまらなかったこと、悲しかったこと、幸せだったこと、すべては相手にとって何のメリットも与えないが、それを受け入れてくれる、またはそのくだらない話の中から相手が自ら何かしらのメリットを探して感じ取ってくれる。そういう関係が、チラ裏話ができる関係だ。

そう考えた時、結婚式は究極のチラ裏イベントでしかないと思う。
自分がいいパートナーを見つけたこと、そしてとても幸せなことを見せつけ「さぁぼく/わたしを祝って」と呼びつけるわけである。ご祝儀というお金まで払わせ、おめかしをさせ、出し物を考えさせる、という愚行だ。

そんなイベントに喜んで参加してくれる友人、逆に自分もこういうネジ曲がった考えを持たずに招待できる友人、そんな友人が一体何人いるのだろうか?

自分が「結婚式に呼びたい」と思う友人は、きっとお互いに大切な友人なんだと思う。そういう友人がいるのは、とても素敵なことだ。自分も相手も幸せだ。

これからはそういう人付き合いの方向性でいけたらいいかな、なんて思う次第。
そういう意味でシェアのアパートに住んでいてよかった。一人暮らしだったらプライベートなんてなかったかもしれない。
住民のみなさん、ありがとうございます。

命と死とジレンマ

実は11月4日の夜に、血縁ではないけれど去年お世話になった人が亡くなりました。
ぼくの誕生日は11月5日で、静かに息を引き取る命があった次の日に、自分は生誕を祝われたわけで。
この世界のどこかではいつでも新しい命が芽吹き、そして老いた命が消えていってることを強く実感させられました。

先日 our daily breadという映画を見ました。

僕たちが日常的に食べている食べ物がどうやってぼくらの手元に届くのか、その過程を定点観測した様子をただひたすら流す映画なのだけれど。
そこではたくさんの命が、人間様の食物生産過程の中で消えていっていて。

でもそれがそこで働く人たちの日常であり、その生命の抜け殻を食すのが僕たちの日常であり、そうやって他の命を殺めてその抜け殻を食してきた、その繰り返しが生物の生きてきた道であり歴史なわけで。

別に命を殺すなということが言いたいのではなくて。
ベジタリアンになれと言いたいのでもなくて。むしろ植物にも命はあるんだと思うくらいなわけで。

そうではなくて、ぼくらにとって近い存在であるはずの命が、こんなにも遠くに行ってしまった、いや、僕たち自身がその命という存在から遠ざかってしまったということが、
なんとなく憂慮しなければならないことのような気がしているということです。

最近好きなバンドに「世界の終わり」というバンドがありまして、
今は「SEKAI NO OWARI」という表記で活動しているのだけれど、
彼らの曲に「虹色の戦争」という曲があります。



--------------
虫に歌があるなら何を叫ぶのだろう
「平和の解放」の歌を世界に響かせてるだろう

自由に耳があるなら何が聴こえるだろう
偽物の平和の歌が爆音で聴こえるだろう

虫が叫ぶ平和な世界で僕らは愛を歌っている
虫籠の中で終わりを迎えた「命」は僕に何て言うだろう

生物達の虹色の戦争
貴方が殺した命の歌が僕の頭に響く
The War Of The Rainbow Color
--------------

ぼくはこの曲を聴いてショックでした。
こういう感覚でこの世界を見たことがなかったから。
それでも一方で深瀬さん(ボーカル)は「頭に響く」と歌う。

ぼくらが生きている今日も、世界のどこかで誰かが死んでいるし、
ぼくらが得した日でも、誰かが損をしているし、
ぼくらが笑った日でも、誰かが泣いているし、
ぼくらが愛の素晴らしさを歌っている間にも、誰かが愛を感じられなくて塞ぎこんでいるし、
ぼくらがぼくらの平和を願うということは、誰かの平和を壊しているということで、
そういう戦争が常に起こっていることにぼくらは気づかずに、今日もまた笑いながら誰かを殺してる。

一度でも、その「誰か」の声が頭に響いたことはありますか?
そんなことを考えた、24年と3日目の夜でした。

[English] Life, Death, and Dilemma


On 4th November, I lost a person who took care of me last year. As you can see above, my birthday is 5th November. On the following day when one life disappeared, I got celebration from my friends. In this world, new life blooms somewhere while old life dies down.

On the other day, I watched a film, “Our daily bread”, which is a film showing us various sorts of food processing by fixed-point observation. In that process, many lives are dying to be eaten by human beings.
-> Visit the page: http://www.ourdailybread.at/jart/projects/utb/website.jart?rel=en&content-id=1130864824947

However, that IS the daily life for the person who works there, that IS the daily life for us, people who eat the empty shells whose lives were removed, that HAD BEEN the way animate beings had walked and the history of us.

Don’t take me wrong. I don’t want to say, “Hey don’t kill any life.” or “Become a vegetarian.” or something like that.

I think we need to care that the lives existing around us have gone, if anything, we have gone far away from the lives which were next to us. Now there is a huge gap.

Do you know the band “End of the world”? This is one of my favorite.
I’ll introduce you one song which I love most.



--------
Lyrics:
--------
What did worms shout aloud if they had their own songs?
They would sing a song telling you “Freedom of peace”.
What did freedom heard if he/she had their own ears?
They would hear a song pretending a peace.
We are singing a love while worms are shouting their peace.
What did lives died in a worm cage say to us?

The war of rainbow colors between living matters.
A song lives sing, which you killed, is echoing in my head.
---------

I got shocked when I listened to this song first time because I’d never see this world like this. Still, the vocal sings like “a song echo in my head.”.

Today we are alive, someone is dying.
On the day we get lucky, someone makes a loss.
On the day we are crackling up, someone’s crying.
We are singing how beautiful a love is while someone is closing his/her mind without a love.
We wish our own peace, and it means we wish someone’s peace goes disrupted.
We never know that war is around us, and we get laughed while killing lives.

Have you ever thought of that “someone” at least once?
This is the night on 3rd day of my 24th year in my life.

2012年11月4日日曜日

[読後メモ] メイカーズ-21世紀の革命が始まる


先日発売になったメイカーズ。
個人的に気になる領域だったのでお借りして読みました。
感想というよりはメモの形で、引用しながら大事だと思ったところを以下まとめます。

銃・病原菌・鉄が食糧生産による人類の変化を書いたように、本著は工業化が起こることによって何が変わり、だからデジファブが起きることによってこうなるんじゃないか?という話が書かれている。その点は、未来学に興味がある自分としては面白かった。
ただ、デジファブによってどう変わって行くのか、についてはテクノロジー的に何が可能になるか、だけじゃなく、もう少し踏み込んでもらえたらより良かったかな。全体としては、起業とかデジファブとかしたくなる一冊。



p16 bit vs atomの話
しかし、ぼくらはアトムの世界、つまり、場所やモノの存在する現実の世界に生きている。(略)広義のデジタル経済は、およそ20兆ドルの売上規模があるという。同じ調査で、ウェブを含む経済全体はおよそ130兆ドルの規模と推定されている。

クリス・アンダーソン氏は冒頭より、「ビットとアトム」という表現でWEBやデジタルによる経済とモノ経済を比較します。ここでいうデジタル経済の定義がどこまでかチェックせずに本を持ち主に返してしまったのですが、世界規模で多めに見積もっても、15%程度の経済効果しかもたらしていないということになります。


気になったので自分でも調べてみました。

-OECD Internet Economy Outlook 2012
OECD Internet Economy Outlook 2012 | OECD Free preview | Powered by Keepeek Digital Asset Management Solution
こちらの資料のp.35を参考にすると、世界全体で考えたとき、ビジネス全体のVAのうちICTの占める割合は8.5%くらい。p.283あたりを見てみると、USでは、全GDPの内インターネットによってもたらされたGDPは8%程度しかありません。


-ICT産業の国際競争力強化に向けた提言-NRIコンサルティング事業本部 情報・通信コンサルティング部
http://www.nri.co.jp/opinion/r_report/pdf/201005_jouhou_tsushin_2.pdf
こちらの資料のp5でいうと、世界全体のGDPの内ICTの占める割合は2010年あたりで4%しかありません。


-第4章 情報通信の現状
http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/286922/www.johotsusintokei.soumu.go.jp/whitepaper/ja/h21/html/l4212000.html
でもこちらの資料を見ると、およそ30%が情報通信産業となっています。

どれが正しいのかはわかりませんが、資料の数でいうと「ICTの経済全体に対する貢献度は10%前後」が実際に近そうですね。


●p32 メイカーブームメントの特徴
  • 1.デスクトップのデジタル工作機械を使って、モノをデザインし、試作すること。
  • 2.それらのデザインをオンラインコミュニティで当たり前に共有し、仲間と協力すること
  • 3.デザインファイルが標準化されたこと。おかげでだれでも自分のデザインを製造業者に送り、欲しい数だけ作ってもらうことができる。また自宅でも、家庭用のツールで手軽に製造できる。これが、発案から起業への道のりを劇的に縮めた。まさに、ソフトウェア、情報、コンテンツの分野でウェブが果たしたのと同じことがここで起きている。

メイカーズとは、上記のような特徴を持ったモノ作りをする人たちのこと。


●p46 ボトムアップイノベーション
無数の個人によるボトムアップのイノベーションが、いままさに生まれている。初期のPC愛好家からウェブコミュニティの参加者まで、ビットの世界では個人がイノベーションを起こしてきた。

ICT分野では、オープンプロセスで個人が集まり、コミュニティが生まれ、イノベーションが起こってきました。PCのときも、インターネットのときも。



●p54 産業革命の意味
産業革命が人々の日々の営みの中でどんな意味を持つべきなのか考えてみるべきだ。

この問いかけは未来を考える上でとても重要なことだと思っています。
1つ1つの変化が、消費者の日々の生活にどんな意味を持ち、ビジネスのバリューチェーン、サプライチェーンの中でどんな意味を持ち、社会における人間の生産価値がどう移り変わっていくのか。

単なるSFとしてではなく、歴史を振り返り、人類の歴史的な変化のポイントでは一体何が起こり、どういった意味合いを持っていたのか、という視点を持った上で新たなテクノロジーによる変化を想像し、自分たちの現代の生き方を再構築していなかなくてはいけない。


●p51工業化のもたらしたもの、衛生状況改善の価値
「工場労働にはさまざまな悪い面があったにしろ、工場の近くに住むことのメリットの方がはるかに大きかった。」

  • 工業化⇒効率化⇒製品が安くなる⇒製品が国全体に広がる
  • 工業化⇒収入増加⇒栄養摂取状況良好
  • 工業化⇒安い清潔な衣服が手に入る⇒健康
  • 工業化⇒農村から工業都市⇒土壁の小屋から、湿気や疫病を遮断するレンガ作の家になる⇒清潔健康
  • 工業化⇒農村から工業都市へ移動⇒医者や学校などの教育福祉資源にアクセスが可能に
  • 工業化⇒工場増加⇒農業より綺麗で健康的な環境⇒清潔健康
  • 工業化⇒毛織物から綿へ⇒洗濯乾燥が楽⇒清潔健康


●p66 過去の工業化は、現在のIT化と同じ夢を人々に抱かせた
「機械の普及によって、イギリスでは大多数が農業に従事していた時代が終わった。(略)そうした仕事は、土地にも地主にも結びつきのないものだった。家庭内で働く人たちは、より自立し、経済的な行き先を自分でコントロールできた。(略)少なくとも労働者は自分で時間を管理できた。それは起業につながる道だったが、本当に差別化されたイノベーションを生み出すまでには至らなかった。」

これ、最近のノマド論と同じ構造だと思いませんか?自分の生活に焦点を当てれば、自由な時代になったかもしれないけれど、それでは新しいものは生まれない。


●p146 コミュニティとオープンソフトウェアによるビジネス
メイカーズが行うビジネスは、
  • 開発すべてがマーケティング
  • 最初からグローバルで戦う
  • コミュニティはマーケティングチャネルであり顧客サポート


●p183 安い労働力へと向かうグローバルな貿易は終わる
「オートメーションの占める割合が増えて労働力に依存する部分が減れば、人件費の低い国で生産する意味はあまりなくなる。(中略)ロボット工場の台頭によって、これまで数世紀ものあいだ続いてきた、安い労働力へと向かうグローバルな貿易の流れは、終わりを迎える可能性がある。」

著者はもちろん、すべての新興国への生産工場移転が終わるとは言っておらず、生産規模によって今と同じように新興国への生産移転を続けるビジネスもあると説明しています。ただ、すべての製造業が新興国トレンドにあるわけではないと。

メイカーズの生産規模が小さいと、オートメーション化するためのランニングコストが規模の経済を利用しなくとも低くなる状態まで、機械の性能及び生産コストが下がらなければ採算が合わない気もしますが、そのバランスさえ取れれば、うまく機能していくのでしょう。


●p198 メイカー企業は雇用を創出できるのか?
ウェブを利用したメイカーモデルの上に成り立つ企業には、それができる。なぜだろう?
「まず、ほとんどのメイカー企業はオープンコミュニティから始まるため、ネットワーク効果による高い成長の可能性があらかじめモデルに組み込まれている。コミュニティは、より迅速で、より安く、より高度な製品開発プロセスや提供するだけでなく、より安く、より効果的なマーケティングを可能にする。(略)
次に、ウェブを土台にしたこれらの企業は、低価格のサプライヤーを見つけることから、請負業者を使ってバーチャルに製造することまで、すべてにおいてウェブを有効に活用する。(略)
さらに、こうしたオンライン企業は、生まれた瞬間からグローバルだ。彼らは国境を越えてニッチ市場に製品を販売している。」

ここまで言い切られると、挑戦したくなりますよね(笑)


●P203 エコノミックガーデニング
細かい引用が出来ないのですが、検索したら下記資料が出てきましたので、リンクを貼っておきます。
-NTTデータ研究所の考える日本版エコノミックガーデニング
http://www.keieiken.co.jp/services/community/img/eg.pdf


●p207 メイカーズの成功例:スパークファン
  • 入手困難な部品を販売する小さなウェブストア(エレクトロニクス部品を取り扱ってる)
  • 物価の高いコロラド州ボールダーに会社がある
  • どうやって低コスト製品と戦ってるのか?⇒「オートメーション、顧客や彼らのニーズへの深い理解、そして社員による日々のブログやチュートリアルの周辺に築かれたコミュニティ」
  • 「安い労働力を見つけることだけが製造業の成功要因ではないことを証明している」
  • 「デザインインカリフォルニア。メイドインチャイナ」なのだといわれる。こういう現状がある中での成功。


●p208 メイカーズの適正生産規模
「要するに、数百万個単位ではなく数千単位で販売される特殊な電子部品なら、アメリカでも製造することは可能なのだ。」



●p210 インダストリアルコモンズ
ピサノとシーは、イノベーションを維持するための集合的な開発、エンジニアリング、そして製造能力といった、インダストリアルコモンズを積み上げること重要だと述べている。

「彼らの販売するツールが周辺企業をより強くすることが、いちばんの効果だ。言い換えれば、彼らは新しい雇用を生み出すだけでなく、新しい企業をも生み出すのだ。」

スパークファンは、そうした新たな産業のインダストリアルコモンズの集積地となっている。


2012年10月28日日曜日

[映画感想] FAST FOOD NATION.-今世界で起こっていることがリアルになる(追記あり)


このFAST FOOD NATIONという映画は、本当に衝撃的な映画だった。名前から簡単に想起されるような「ファストフードは身体によくないよ」というような健康啓発映画ではなかった。

今この世界で起きていることを、キュッと2時間に圧縮したような、そんな映画。

ぼくたち消費者の手元に商材が届くまでには想像もつかないようなたくさんの人たちと、想像もできない機械と、想像もできない工程が、関わっている。大きな会社になればなるほど、そのブラックボックス化は進み、そこには往々にして大きな問題が潜んでいる。
そんなことをメッセージとして感じた。


*(以下ネタバレ)*

アメリカのファストフード店に肉を供給する工場の多くは、メキシコ移民たちにとって格好の稼ぎ場所だ。

不法入国しても雇ってくれる上に、メキシコで1ヶ月働いて手にはいるお金が1日で貰えるらしい。
工場はたくさんのメキシコ移民の命を預かってる。

だけどその工程はずさんだ。
肉に牛の糞が混じってるらしい。内臓や腸を取り出す際に刃が入ってしまうかららしい。

仮に糞が混じってることが事実だったとしても、第三者機関が検査をしたところで、ファストフード企業の社長との癒着しているため悪い結果は表に出てこない。

工場ではよくケガ人や死人も出る。でもその事故を企業は認めない。ドラッグ検査の陽性を偽装し、解雇する。ケガもドラッグのせいにする。個人の問題にする。

ケガをした男性の奥さんはもっと稼ぎたいと思う。仕事が欲しいから、言われるがままに仕事の采配権のある男とセックスする。

そんな中、ファストフード企業内部の正義感のあるマーケティング部人間は問題を調べに、現場である工場まで出向く。現場は隠そうとするが、なんとか現実を知る。ショックを受ける。

一方、そういう課題があることを知った学生たちが、過激なことをやろうと案を練る。行動しなきゃ意味がないんだと、牛を逃がそうとして失敗に終わる。

男とセックスをして仕事をもらえることとなった女性の向かった先は肉加工工場の上流だった。ここは生々しい。牛の足を切り、皮を剥ぎ、身体を裂き、血飛沫が飛ぶ。

そして最後、正義感の強かった男が、商品会議で新製品のハンバーガーのアイデアを発表してるシーンをもって、映画は終わる。会社の巨大な悪に立ち向かうことができず、「今度もまた売れますよ」と何も知らなかったのように新しい糞のついたハンバーガーを作り続けるのだ。



少しはイメージが伝わっただろうか?
大企業が利益を追い求めるとこうなるのかと思うとゾッとするけど、こういう企業を求めてるのぼくたち消費者なわけで、企業を糾弾するだけじゃなく、消費者側が変わらなきゃいけないと思う。

ぼくたちはほとんどの生産工程から離れすぎてしまった。利益のために効率化し過ぎてしまった。

そういう文脈では、やっぱりデジタルファブリケーションの流れには期待したいところがある。3Dプリンタやレーザレカッターを駆使し、デジタルデータに沿ってモノを加工することで、従来よりも手軽にモノを生産する活動のことなのだけど、(デジタルファブリケーションを体験できるFabCafeが渋谷にあるので、興味のある方はぜひ。)

このデジファブの動きによって、小さな企業や個人がモノを作って売るようになり、大企業生産のモノばかりでなくなるのではないか、という話が色々なところで囁かれている。

そうすれば均質的なものをスケールメリットをきかせて売ることで利益をあげるスタイルでばかりではなくなるはずで、この映画で起きていたようなことは、減っていくのではなかろうか。

ちなみに、デジタルファブリケーションの先をいく話では、砂漠のケイ素からモノを造るテクノロジーなんかも出てきてるらしい。材料すらも最早成型されていなくても問題ないわけだ。技術ってすごい。

ただ、ぼくが一つ大きな問題だなと思っているのは、雇用の問題だ。
もしデジファブの動きが加速すれば、基本的に製造関係の仕事は、大量の人を雇う必要がなくなる。

日本の場合、工場を中国などに移しているとはいえ、まだまだ国内生産している所もあるはずだが、中小企業がデジファブ機器を取り入れたとすると、人員削減は必至だろう。

仕事を失ったひとたちはどうなるのだろうか?いくらデジファブ文化によって気軽にモノを生産できるようになったとしても、みんながビジネスを始めるとは思えないし、儲かる成功例ばかりでもないはずだ。

個人的な可能性として信じたいのは、この製造業のさらなる効率化が、かつての食料生産のような役割となって、世界がさらに発展していくことだ。

我々人類は、定住化して食料生産ができるようになることで、技術、娯楽、文字などが発明することができた。

それと同じように、製造業という一次産業の次に生活に必須な産業がさらに効率化されることで、その余剰分によって、世界を変えるような新たな出来事が起こるのかもしれない。(詳しくは下記をどうぞ)



と、グルグル考えると、今まで世界を変えてきたのはB2B面の技術革新で、B2C面では革新的な技術が詰め込まれた商品を使ってもらうためのマーケティング、なんだと思う。(広すぎてそれビジネス全部やん、て感じだけど)

そしてその二軸を横断的にカバーしてるのがデザインかな。デザインが本来社会的活動だったことを考えても、今後もデザインからは大きな力が生まれるんだろうと思う。

その3つに対してどういう風に関わっていきたいのか、どれにケイパビリティがあるのか、考えながら精進していきたいですね。



そんな風に世界と未来に目を向けて考えるきっかけを与えてくれた、良い映画でした。本当にオススメです。


*(追記)*
「こんな映画は見ちゃいけない」というブログの批評は、ぼくとは違う観点がメインで書かれているので、載せておきます。映画を客観的に捉えたい方はぜひ。
ファーストフード・ネイション

2012年10月24日水曜日

[TED] Break The Bias-枠外思考

少し前に見たTED動画で面白いものがあったのでご紹介。

Break the bias: Hideshi Hamaguchi at TEDxPortland 2012


スピーカーは、デザインコンサルティング会社ZIBAの戦略ディレクター・濱口秀司さん。
最近デザイン思考の定義と不確実性という題で、Enterprisezine ビズジェネにインタビュー記事の連載が掲載されています。

このプレゼンでは、イノベーションを興すための思考法が説明されています。言うは易く行うは難しなのはもちろんなのですが、その中からぼくが共感した考え方を2つ挙げたいと思います。


●RE-CHART
冒頭から濱口さんは"Re-chart"という考え方をお話されます。
自分たちの領域が四角形として与えられた時、その中で動きつつ、新しい方向性を与えることで、コントローラブルだけどイノベーティブなものを生み出す、ということだと思います。

●Shake The Chart
物事にはScopeとObjectiveとPerspectivesがあり、それぞれを動かしてみることで見える景色が変わるという話です。

例えばScope。
広いScopeで見てみたら大きな山だと思っていたものが、狭いScopeで見ると川の上でボートに乗っている人がいることがわかり、最後に中間くらいの広さにScopeを変えてみたら、なんとそのボートは滝に差し掛かるところまで来ていてることがわかった、という喩え話が紹介されています。

物事を考えるときに、「今常識として考えられているルール=スコープからいかに抜けだして思考するか」というのが大事なのではないかと最近思っています。ぼくは「枠外思考」と呼んでいるのだけれど。

で、その枠はこのプレゼンでいうならバイアスとして最初与えられているもので、それをスコープをずらしたり、大きさを変えてみたり、そういう思考法をしていかないと新しい価値は生み出せないだろうなという感じです。

自分自身、調査をして分析作業をメンバーとしていても、調査の段階で感じたことがいつの間にか枠として固まってしまって、自然とその枠の外に漏れたことの印象が薄くなってしまったり、その枠の中に収めようとしたり、その方向性=パースペクティブを固定化してしまっていたり、することがあります。
でもそれは本当は危険なことで、そこに「枠」があることをしっかりと認識しておかないと、誤った解釈をしてしまうのではないかと。

この枠を動かす考え方は、論理的にもできるし、逆にアイデアオリエンテッドでもできることで、日頃からそういう癖をつけていくしかないのかなと考えています。

たとえば、「1トンの肉があったらどんな焼肉するか?」とか。このときに「焼肉」というと「食べる」ことをセットで想定してしまうけど、「食べない焼肉」だってあるかもしれないですよね。

「宝くじで1億円あたったらどうする?」という問があったとしたら、「使う」ことが前提にあるかもしれないけど、たとえば「返金する」とかもあるかもしれないです。

これは冒頭のチャートの話でいえば、アンコントローラブルなOFF-CHARTの話になってしまいますが、そういうリフレームしていくことっていうのは、非常に大事になってくるだろうなと思います。

(数ヶ月前に同じようなことを現実の枠の外から考えるという記事でも書いていました。)

リフレームという単語繋がりで行くと、コプロシステムの棚橋さんが「なぜ?」を問うことでリフレーミングするのがエスノグラフィーの極意という記事を書かれていますね。

デザイン思考とイノベーションがセットで語られる事が多いのは、人間中心というだけでなく、その人間中心の発想から既存の枠から抜け出すことが行われているからなのかもしれません。

そんなことを考えながら、まずは小さくてもいいので会社でイノベーションを起こせたらいいな、と日々頭を悩ませています。
「意識高い系」にならないように、こういった座学から現実のアクションを起こせるよう、少しずつ動き出したいところです。

2012年10月22日月曜日

[読後感想]ブラックジャックによろしく-医療について考えたこと

『ブラックジャックによろしく』、アプリで無料で読めるてことで、13巻まで読みました。

こういう風に無料にしてくれたわけだし、考えさせられるテーマだし、感想を公開しておこうと思います。著者の方への感謝の気持ちも込めて。

1つ前に別の感想記事を書いていますが、
>>[読後感想]ブラックジャックによろしく-何かを変えるということ
今回は医療に対しての感想にしぼっています(あまり推敲できてません)。


あらすじ
「ブラックジャックによろしく」という話(の13巻まで)は、「研修医になったばかりの斎藤がスーパーローテートで複数の科を回る中での葛藤と、そのひたむきさに指導医も多かれ少なかれ影響されて変わっていく」というストーリー(だと思っている)。

根強く残る医局制度、急患受入体制の実態、病院数の不足、未承認薬品、赤ちゃんの生存権、精神障害者・不妊に対する差別や偏見(一般人、メディアの報道)、などなど、多くの医療の問題を対面する中で、斎藤は「目の前の患者の命を救うのが医者だ」という信念を元にもがき続ける。



医者の役割は何なのか、患者とは三人称の関係で
産婦人科では、「施術後のことも考えなければならない」と叫ばれる。
精神科では「退院したあとのことは知らない」と言われる。

医者の役割は果たしてどこまでなのか?命を救うことなのか、救った後のことも考えなければならないのか。

患者とは三人称の関係でいること、これはほぼどの科でも言われたこと。
斎藤のやってきたことはその逆だったし、関わってきた指導医が本当にやりたい治療は、あくまで患者にとって一人称としての医者であることが伝わってきた。

斎藤が関わってきた患者さんたちは最終的にみんな幸せになったんだと感じた。

するとやはり、一人一人の患者さんにとって、患者ではなく一人の人間として真摯に向き合ってくれることが、生死とは独立に大事なことなんだろうと思う。

自分はどんな医療を望むだろうか?



未来の医療は?
一方で、医療はどんどん進歩していて、iPSの実用化でそれこそ何でも治ってしまうんじゃないかと思う。

医療はどう変わっていくんだろうか?
ゲノム解析が安価に早くできるようになるまでに10年前後かかってることを考えると、iPS治療も実用化には技術的な課題解決に5~10年、そこに倫理的なルールの整備や治験に何年もかかるはずなので、一般的な導入は20年後くらいだろうか。

いままで助からなかった人たちが助かるのは間違いないだろうけれど、治療にはどのくらいの費用がかかるんだろう。
診療や治療が実施されるほど、医療費はかさむ。すでにGDPの1割弱が医療費(記事末に記載)に費やされている。

その医療費を支える税金は誰が払うのだろうか。
保険適用範囲内に入れられたらどうなるだろう。

20年後には人口は1億1000万人くらいだと予測されている。うち老年人口は全体の3割だ。それだけでも医療費はかさむのに、保険適用範囲内の新しい治療が増えて治療の件数が増えれば、当たり前だけど医療費に使われる税金も増える。(世界のほかの国々に比べると、平均寿命に対して1人当たり医療費が低く、効率の良い医療が行われていると言われているらしい。平均寿命と医療費の相関から医療効率がはじき出せるとは全く思わないけれど。単純な食習慣などの方が負荷量としては大きい因子だろうから。)

労働人口と高齢人口のアンバランスだけでなく、家計の平均年収も下がっていると言うし、今まで国内で稼いでいた人たちが海外に行ったら、ますます一般人の負担は増える。

医療技術的な発展によって、完治する病気が増えても、たとえばダビンチの応用で普段の診察も遠隔で出来るようになったとしても、そのコストを払う仕組みが追いつかないイメージしかない。結局医療費を払うのは国民全員。
個人的にはそういった医療の仕組みの方が気になっている。




グダグダと感じたたことを吐き出しました。
医療、みんなに身近なことだけれど目線がどうしてもサービス受ける側だけに偏ってしまいがちだけれど、仕組みまで視野を広げていきたいなと思います。政治とも絡んで来るので、これからもっと医療についての理解を深めないといけないですもんね。


参考
さくっと調べた資料のURL貼っておきます。
少し古いものも多いですが、ご参考まで。

●統計上の医療費の定義
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/37-21a.html#link03
医療機関等における保険診療の対象となり得る傷病の治療に要した費用を推計したものである。
この費用には、医科診療や歯科診療にかかる診療費、薬局調剤医療費、入院時食事・生活医療費、訪問看護医療費等が含まれる。
なお、保険診療の対象とならない評価療養(先進医療(高度医療を含む)等)、選定療養(入院時室料差額分、歯科差額分等)及び不妊治療における生殖補助医療などに要した費用は含まない。
また、傷病の治療費に限っているため、[1]正常な妊娠・分娩に要する費用、[2]健康の維持・増進を目的とした健康診断・予防接種等に要する費用、[3]固定した身体障害のために必要とする義眼や義肢等の費用も含まない。

●医療費と平均寿命(2007年)
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1640.html

●厚生労働省 人口10万人対医師数など
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/06/kekka1-2-4.html

●厚生労働省 医師などの統計表など
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/10/index.html

●都道府県別医師数
http://todo-ran.com/t/kiji/10343

●2006年ごろの医療の現場と課題など
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpax200701/b0047.html

●日経グローカル データで見る地域
http://www.nikkei-rim.net/glocal/glocal_pdf/031PDF/031data.pdf

[読後感想]ブラックジャックによろしく-何かを変えるということ

『ブラックジャックによろしく』アプリで無料で読めるてことで、13巻まで読みました。

こういう風に無料にしてくれたわけだし、考えさせられるテーマだし、感想を公開しておこうと思います。著者の方への感謝の気持ちも込めて。


あらすじ
「ブラックジャックによろしく」という話(の13巻まで)は、「研修医になったばかりの斎藤がスーパーローテートで複数の科を回る中での葛藤と、そのひたむきさに指導医も多かれ少なかれ影響されて変わっていく」というストーリー(だと思っている)。

根強く残る医局制度、急患受入体制の実態、病院数の不足、未承認薬品、赤ちゃんの生存権、精神障害者・不妊に対する差別や偏見(一般人、メディアの報道)、などなど、多くの医療の問題を対面する中で、斎藤は「目の前の患者の命を救うのが医者だ」という信念を元にもがき続ける。


現状の問題と向き合うこと。みんな初めは考える、でも考えなくなる。
斎藤が回った科の一つに産婦人科があり、そこで不妊治療の末生まれた双子とその両親出会う。
未熟児で生まれた二人。新たな命に感動するのもつかの間、双子の一人が、ダウン症であり、かつ早急に手術が必要だとわかる。
そこで思わぬ展開になる。父親が断ったのだ、その赤ちゃんたちの親になることも、手術させることも。

斎藤は「なぜ何の罪もない赤ちゃんが死ななければいけないのか」と、なんとか赤ちゃんたちが生きられる方法を探す。指導医にも意見をぶつける。指導医は激怒した。
「自分だけが考えてると思うな!」

斎藤はひるまないんだけれど、ぼく個人にはすごく印象的な言葉だった。
みんな一人一人考えているんだということ。
自分の一生懸命が、時に人を傷つけることがあること。(自分の現状批判意見を主張することによって、その現状にいる当事者の人たちの努力を暴力的に無視している。)自分がちょっと考えたことなんて、経験者の人たちはみんな通った道なのだということ。そして大半の人たちは、そういう問題のある環境に慣れていくのだということ。慣れていかなければ潰れるのだということ。


逆に、小児科の指導医はこう斎藤にこう言った。
「医師には2段階あるようです。医師としての使命に燃え、理想を追う段階。そしてその次・・・全てをあきらめ、目前の患者だけを黙々と診療し続けていくという段階です。」

医療現場には、斉藤が見つけた問題以上にたくさんの問題が恐らくあって、経験者の人たちは変えなければいけないはずのそれらの問題を知っているはずだ。
けれど、より多くの人を助けるため、出来るだけ新たな問題が発生しないようにするため、何より医者が潰れずに治療を続けられるようにするため、全体最適を考えた結果、権力者が作った既存のルールに収まってることがよいと、結論づけられてきたんだと思う。


少しでも、何かを変えるためには
会社と同じだ。
だから本当に変えたいと思ってる医者はまずそのルールの中で上に登り詰めようとしてるんだ。

斎藤が一番始めに出会った指導医との会話でこんなものがあった。

「教授がうんこ食えって言ったら・・・」
「それくらいの覚悟だ!私は必ず将来この大学の教授になる。教授になってまずこの大学を変える・・・全国にある永大の関連病院を変える・・・そして日本の医療を変える!」

働き始めてつくづく思うのだけれど、何かを変えるには、その機会をまず得るところから始まる。何かをするスキルっていうのはもちろん大事なんだけれど、その前にその土俵に立つために必要なことが色々ある。モノ申すことのできるポジションにつく、自分の意見を聞いてもらうための信頼関係を作る・・・。
(B2Bに限った話かもしれないけれど)そのためには技術的なスキルよりも、「そもそも」の部分でほぼほぼ決まってしまったりする。

クライアントの抱えている課題をしっかりと把握できているか、プロジェクトの情報共有をクライアントのフロントに立つメンバー以外にちゃんと共有できているか、現場の課題をフロントが理解できているか、予算の関係でスペックダウンしたその仕様で本当にいいのか、納品レポートを最終的に誰が見るのか把握しているか・・・。

書いてみると簡単そうな1つ1つのことが、本当に難しい。スケジュールがキツキツだったら?クライアントが全然情報を出してくれなかったら?クライアント自身も問題の優先順位付けや構造化ができていなかったら?予算がないと言われたら?

万全の状態でなくても(むしろそれが普通)、相手や環境をダメ出しするのではなく、そういう小さなこと1つ1つに対して向きあっていかない限り、何かを変えることなんて絶対できない。その小さな1つ1つの積み重ねが、変えるべきなのに変えられない問題となって現れるのだから。

社会人1年目も、2年目も、仕事で学ぶことで一番大きいのは、こういった泥臭い部分ばかり。表象だけ見ていても根本的な課題には辿り着けないし、こんなもんでしょと小さな問題1つを放置していても何も変わらない。

胸を熱くする、日々の仕事に活かしていきたい学びでした。


2012年9月3日月曜日

ぼくらの世代が生きる未来のシナリオは・・・?

ここ数ヶ月で読んだ本、観た映画は、振り返ってみると、いろんな時代の景色をぼくに見せてくれたなと思っています。

過去から未来へ。
どうして今ぼくたちが経験してるような現在があって、どんな未来にぼくたちが触れていくことになるのか。

そんなことをモワモワと考えることが多かった。

読んだ本、観た映画、それから他に調べたことなどはこんな感じ。

●フラット化する世界
●銃・病原菌・鉄
●世界史をつくった海賊

●時計じかけのオレンジ
ワーナー・ホーム・ビデオ
発売日:2010-04-21

●2001年宇宙の旅
ワーナー・ホーム・ビデオ
発売日:2010-04-21

●宗教
●生産消費、アルビン・トフラー


考えれば考えるほど、将来への不安は拭えなくて。悶々と振り返り、考え、疑問を書きなぐります。
順不同、思いつきなのでぐちゃぐちゃです。すみません。

でも、もしかしたら同じように悩んでるひともいるかもと思って、そういう人と不安な気持ちを共有できたらと思って、書きます。

もしかしたら、同じように今のルールに疑問があって、このままこの世界が続くはずがないと思っているひとがいるもしれないので、書きます。



メソポタミアの肥沃地帯が衰退していった理由に、森林伐採がありました。今の地球の繁栄も、どこかで自然の崩壊によって止まってしまうかもしれない。

イギリスで産業革命が興った、その資金は奴隷貿易によって得たお金だった。発展に犠牲はつきものなのかもしれない。

スパイス、コーヒー、お茶、印刷技術、火薬、砂糖などなど、起源までたどると中国やイスラム地域、アフリカから始まったものが多く、ヨーロッパはただ輸入していただけだった。尊重すべき他国の文化。

悪政は国の成長を止めてしまう。中国が15世紀あたりから弱くなっていくのは政治判断が悪かったから。日本の政治はどうだろう?

大航海時代、フロンティアを探しにアメリカ大陸へ漕ぎ出し、その当時インディアンは排他された。いまのグローバルビジネスもこのフロンティア精神の焼き直し。現地のひとはどうなっていくのか?

グローバル焼畑ビジネスもいつか終焉がくる。国内で何ができるか?

企業の利益と国益の乖離。新興国へのアウトソーシング、オートメーション化の波。国内二極化。若者の雇用状況の悪化。人材の国境を超えた流動が、それを加速している。

アウトソーシングされない価値とは何か?システマチックにやればやるほどオートメーション化しやすいが、かといって属人的なインテリジェンスだけでも非効率か?

マスビジネスが難しくなってきた。一方、工業化以降分断されていた生産と消費が統合しつつある。この生産消費の動きはどこまで進むのか?

今まで信じてきた大きなルールの崩壊。枠内思考でぼくら若者はどこまで生き抜けるのか?

お金の価値はどう変わって行くのか?モノはどうなっていくのか?年収の目標とか、今のルールで立ててしまっていいのか?

今いるオトナをロールモデルとか言ってちゃ遅くて、彼らをベースにして自分たちでキャリアプランは描いていかないといけない。

ネットが広まったのは10年くらい。たったの。PCもまともに一般に普及してからまだ10年ちょっと。10年は世界が変わるには十分すぎる長さ。資本主義はなくならないかもしれないけど、絶対に今ほとんどのひとが想像もつかないような変化が起きる。ぼくらの生きているうちに。

それでも、やっぱり会社はリスクを取りにくいし変わりにくい。でもそのうちに、ビジネスルールは一瞬にして変わる。

未来の予測は難しい。2001年宇宙の旅で月をあそこまで再現したキューブリックも、小型化の技術は予測できなかった。2001年宇宙の旅の原作者のクラークも、ソ連が崩壊することは予測できなかったし、戦争が日常から少し離れることも予測できていなかった。

だからこそ実験する若者。それを罵倒するオトナ。長期的な全体最適と短期的な部分最適。

個人としての最適解と、属する産業としての最適解と、企業としての最適解と、国としての最適解と、地球としての最適解のギャップ。

未来の創り方。未来を創ってきたのは誰なのか?

ビッグデータを解析したって、ソーシャルメディアのコメントの分析をしたって、未来は予測できない。マジョリティーではなく、マイノリティーに、定量的にサマリーしてしまうと切り捨てられてしまうところに、未来はある。



結局、少なくともぼくの場合やるべきことは目の前の仕事。悩んでいる暇があるなら、着々と自分を磨いていくのみだなと、ここまでグルグルして思うのでした。



2012年7月23日月曜日

[English] WANNABE A FUTUROLOGIST.


Do you know Mr. Alvin Toffler?
He is an author of a very famous book, "The Third Wave", and is called a futurologist.
It was first time for me to hear that word, futurologist, but now I'm one of fanatics of the futurology.

What is the futurology?
Wikipedia says as the followings.
Futures studies (also called futurology) is the study of postulating possible, probable, and preferable futures and the worldviews and myths that underlie them.
Sounds cool, doesn't it?

Learn the past, present, and think about future. A repetition of this process is the futurology.

To become a futurologist, I'm thinking we need to learn what is happening in each local community or individual in addition to studying about past and present situations.


●Small changes in local communities and individuals
We will never know the small changes if you keep looking at huge main streams in a macro scale. I really thought so when I joined an event at a new open-space cafe. There were many people feeling a gradual change in years on fields focused by each.

However, now we tend to see one trend by using quantitative analyses on Social media or whatever called "Big Data".
The quantitative analysis focuses on a majority as you know. Social media analysis will never find a new wave, just find what so-called followers are doing. In other words, futurologist doesn't care big pieces. They are keen to find small movements starting at edges.


●Opinions
Here I'm writing about my opinions/what I heard and agreed to as a amateur futurologist.

Now this world has been separated two parts completely. The one is globalization as you know, which is consisted of conventional businesses based on mass production and mass consumption. The other is a life focusing either communities or individuals based on small production and small consumption.

Globalizing business has been basically exploiting economies of scale, exploiting low-waged labors and very cheap materials, and keeping finding a new frontier where is a untapped place. It is very similar to slash-and-burn-shifting-cultivation and it wouldn't last forever because there is no frontier at all. This estimated future must push us to bring innovations, but still I can't personally image our future with this conventional model.

Let's move to stories about community life.
For instance, some people has started to try to reactivate their home towns as you know.
As for electricity, Europe and Japan has been changing the model centralized to a new one distributed to local areas.

Next, let me write about movement to a individual-based life. The point is a prosumption, production by consumers. In the past, prosumption was connected to a so-called self-service, e.g., McDonald where consumers need to take a dish to a table by themselves. We can say this as a conventional prosumption. The next stage came. It can be described with WEB2.0, user-generated contents on the internet. It is getting easier day by day to make something. This direction must keep going ahead.


●To be a futurologist-like businessman
Once you start thinking how this world is going, you could realize that knowledge on various sort of fields would be integrated. The integrated knowledge is literacy, a very important basement of futurology.

I believe this attitude and a future predicted lead my work to a more exciting and valuable one. I want to apply futurology to businesses.

Study many topics in a cross-sectoral manner, and at the same time, pay attention to small changes.
Never give up. Not spend time to boring works for short-term profits. Keep my face up, keep my eyesight up, and see possible, probable, and preferable future.

2012年7月20日金曜日

現実の枠の外から考える

最近、現実という制約からどうやって抜け出すか、ということをよく考えます。
現実の制約の範囲でしか物事を考えられないということは、現実的なことしかイメージできないということで、現実的なイメージの中でしか思考し行動することができないということ。



●現実の枠を超えないと生き残れない
1年間小さい会社で働いてみて、目の前のキャッシュを得る仕事以上に業界全体のことに目を向ける機会が多くありました。そこで感じたことは、現状のままでは会社は生き残れないなということでした。文字にしてしまうと当たり前のことなんですけど、どの業界でもどの会社でも、生き残るために、ポジティブな言い方をすれば、今はない新しいより価値のある事業を興すために、思考して実践していなかないといけないんだなと。

言うは易し行うは難し。
実際はすごく難しくて、だから価格を安易に下げたり、流行りのトッピクスの本質を理解していないのに、他の会社がやっているから・・・と焦って取り入れようとしてしまったりする。
だから会社は潰れる。
どの会社も課題を抱えているけど、なかなか解決はできない。
価値を生み出すことはできない。

現状を打破する、課題を解決するためには、インプットは必要なわけですけれど、それだけでは足りなくて、そのインプットをどう組み合わせていくか、というところで枠内思考では限界があるシーンもあるはずで。
そこを解決するための枠外思考というところでしょうか。

(もちろん、ゴリゴリやっていくならば実践する力も同等に大事だと思います。
数億円規模ならだぶん土台の思考云々よりも実践力というか突貫力でなんとか達成できると思います。)


●現実から一旦抜け出そうと考えてみた

(これを呟いたときは、『宝くじがあたっても「使わない」でしょwwまだまだ枠の中だよーw』というご指摘をいただいたのですが笑)





●現実の枠から抜けだす思考法へ
思考法を変えるために何ができるかな?と考えてみたのですが、適宜上記のような思考トライアルをするくらいしか、思いつきませんでした・・・。思考が凝り固まっているからですね(笑)

上記ツイートにツッコミをくださった方いわく、「枠の外に出ようとするのではなく、枠の外から中を覗きこめばいい」とのこと。
そうかもしれないなーと思ったものの、どうやればいいのかわからず・・・しばし考え中です。

(研ぎ澄まされてる人たちはこういう感覚的な操作法を知っていて、実践されているなと感じることが多く、これも真実なのでしょう。最近バレエやってる方々に身体のことを教えてもらっているのですが、「イメージで身体を操作する」ことを体現されています。)

みなさんは何か思考法改善のための工夫をされたりしていますか?
それ以外の実践的な方法をご存知の方、オススメがある方いたらぜひ教えてください!

2012年7月19日木曜日

セグメントの中のひと、数字の中のひと、が見えているか

マーケティングに関して、自分の頭の整理のためにまた一つ記事を書こうとおもいます。昨年「マーケティング・リサーチとやらについて考えたこともにょもにょ(思考整理)」を書いた時には諸先輩方に辛口コメントをいただきまして、マーケティングについての記事はなかなか書き辛いなーと思ったりもしたのですが・・・勇気を出して(笑)



先日書いた「今やらなければ、一生できない。今日やらなければ、死ぬまでできない。」の冒頭でこんなことを書きました。
色々と書いていて、自分が「こういう人に向けて書きたい」というその相手像がぼやけてきたというか、元々そういう人たちは存在したのか?という気持ちになってきてしまったからです。自分の勝手なイメージで、今の就職システムの被害者像を作ってしまっていたのではないか、という疑念。
ニュースで語られる就職氷河期や離職率の上昇というマクロな数値は、その数値が指し示すはずだったミクロな当該個人を描くことはできない、というより、ぼくにはその数値から一人一人の「そのひと」を描くことができないみたいです。
上記の感情はふっと出てきたものだったのですが、大学時代の研究やマーケティング・リサーチ会社でのリクルート・実査の経験で感じていた「数字への違和感、机上の理論へ違和感の蓄積」だったのかな、と今は思っています。

どんな違和感だったのか、というところを下記に整理していきます。


数字は恣意的である
数字が大事なのはわかっているつもりです。
数字は客観的な指標になり得ますし、インターネットが現れてから数的指標の使用シーンが増えてきて、さらに最近はビッグデータと言われるものもで始めて、増々数字を扱う能力というものの重要性が叫ばれている。それでもその数字だけではうまくいかないのではないか、という感じです。

例えば数字って、それ自体客観的なんですけど、その解釈って実は主観的で恣意的なんですよね。
最近少しずつ統計を勉強しているのですが、例えば信頼区間とか検定の話も、判断は恣意的です。

研究の話でいうと、計測も恣意的なんですよね。
ぼくは微生物を使って地下水中の金属除去が起こっていることを数字的に証明しようと研究していました。
やり方は簡単で、地下水に指定の微生物を入れて、時間経過とともにどのくらい地下水中の金属が減るかを測定するだけです。
この測定を「どういう時間間隔で行うか」によって、その実験結果から見えてくる金属濃度の変化曲線はかなり異なってきます。
時間間隔を短くするほど金属除去は急速に起こっているように見えるし、時間間隔を長くするほど、緩やかに起こっているように見えます。

リクルーティングの話でいうと、クライアントさんは「この商品はこれだけ購入者がいるはずだ。」というのに全然リクルーティングできなかったりすることもあります。
確かに購入者はいるのかもしれないけど、それ以外の指定の条件でフィルタをかけると一気に数が絞られてしまうわけです。
数字自体は真実だけれど、中途半端に数値化すると現実から離れてしまうということでしょうか。

このように、数字は客観的でもあるし、主観的でもある、難しい指標なのだと理解しています。


●コトラーのSTPは今後も通用するのか
さきほど読んだ記事で、こんなパラグラフがありました。
「どんな状況にある人のための製品ですか?」
顧客は統計的な「数」でも「群れ」でもありません。一人ひとり唯一の〈私〉がいます。その〈私〉たちが製品に求め、また与える意味は、多様です。ひとつの製品が、あらゆる状況におけるすべての〈私〉にとって良い意味を持つことなどありえません。したがって、「どんな状況にある人のための製品ですか?」という質問に明瞭な回答を与える商品のほうが受け入れられやすい。
この質問は〈私〉の立場からは「〈私〉のための製品ですか?」という質問になります。〈私〉は状況依存的な存在です。冬に屋外で凍えている〈私〉(カイロに価値を見出す〈私〉)と、夏に入浴後の〈私〉(アイスクリームに価値を見出す〈私〉)は、同じ〈私〉ではありません。-価値は製品に属さない
これを読んで、どこかで
「コトラーのSTPは静的な分析であり、これからはもっと動的な分析をしないと通用しない。・・・例えばハンドタイプのアイスが売れたのは、外にいて暑いと感じている人たちがいたから。・・・」
といような文章と出会ったことを思い出しました。

「静的な30代で世帯年収が800万以上で・・・」というような固定的なステータスによるセグメントではなく、「状況」という動的なステータスと紐付く中で、価値が認識されるのではないかという考え方でしょうか。(便益ベースのSTPとも言えるかもしれません。)

そして『顧客は統計的な「数」でも「群れ」でもありません。一人ひとり唯一の〈私〉がいます。』という記述は、まさにぼくが感じていたことでもあります。

STPはこれからも重要なマーケティングの観点から見た商品開発の重要なステップかもしれません。
ですが、「そのセグメントの中の人を鮮明にイメージできますか?」という問いかけの重要性も増して来ているのかなと。

これがペルソナ、人間中心設計、といったところに繋がっているのでしょうか。まだ勉強不足でそのあたりの関係性はわからないのですが、エスノグラフィーに最初に興味を持ち始めたのも、こういうところから来ているのかもしれません。


●個にフォーカスする
上記の流れから、一人一人の「ひと」に着目していきたいなと思っているのですが、あまりにも一人一人にカスタマイズしすぎてもビジネス成り立たないんじゃないの?と思うし、動的な顧客分析をしたとしても、同じ状況にいるような人たちがある程度の規模感で存在しないとダメなんじゃない?とも思います。

そんな疑問を感じていたときに思い出した記事がありました。AKB48をプロデュースしている秋元康さんについての記事です。
「人数が少なくとも、ある人にグッと刺さるものが必要。興味を集めさせることが大事で、100人のうち一人にしか刺さらないものを作ること、ある世代だけで大ヒットするものをつくること、それにより話題が他の世代に広がる」-秋元康が語るAKB48のコンテンツ論が面白過ぎた

秋元さんが伝えたかった主旨からはずれている気もしますが、なんとなく一人の「ひと」に注目して、そのひとのために商材を組み立てる、というのはありなのかなと感じました。



一見遠回りのような気がしても、自分たちが見ている「人々」の中の「一人一人」を見ようとする姿勢が重要な気がしているので、もう少し関連記事読みあさってみようと思います。
セグメントの中のひと、数字の中のひと、が誰なのかわかるように。

2012年7月12日木曜日

[English] Consumption of real lives suffering from something.

There are some inspiring and thought-provoking story-teller movies, photos, and whatever. We, people who are far away from it, can make us immersed in it as easily as make us get out of it.

The world described there is truly the world where they live in, but it is beyond our imagination. It is just a movie and just a photo. The world they feel real is a fake to us. We often consume their real lives as fakes. The day we see and feel it would be just a day of our lives, each 80-year life. I really hate it. Even trip or experience, for instance in developing countries, cannot make us serious. We can easily say, "This trip/experience amazingly changed my thought/philosophy.". I don't want people, including me, to exploit their lives as a textbook to teach them what a life really is.

However, at the same time, honestly speaking, the story teller does really take me back to the world even if only for a couple of hours, days and months. I totally rely on it to keep myself up for the world. I might forget my current thinking if I didn't see it. I live here as consuming the wold to think about the world.

Today, there are many people thinking just as I am. They also want to contribute to the world somehow. All we, wandering in this maze, can do is only to go forward and go back to think their lives, and to find partisans to tackle enormously huge problems prevalent all over the world.

This consumption of real lives suffering from something would never get obsoleted, but we could change the direction people go towards. People who got interested in this genre must lead their feelings and supports to real solutions. I need to become an expert on marketing or something, choose a country or a problem, and focus on it as dedicating myself to the end. Never ever forget it. Keep it in my mind.

2012年7月1日日曜日

「今やらなければ、一生できない。今日やらなければ、死ぬまでできない。」



最近仕事上で転機がありまして、「シューカツせずとも生きてけます」というブログでしたから、今回の件を詳しく書こうと思っていたのですが・・・やめました。

色々と書いていて、自分が「こういう人に向けて書きたい」というその相手像がぼやけてきたというか、元々そういう人たちは存在したのか?という気持ちになってきてしまったからです。自分の勝手なイメージで、今の就職システムの被害者像を作ってしまっていたのではないか、という疑念。

ニュースで語られる就職氷河期や離職率の上昇というマクロな数値は、その数値が指し示すはずだったミクロな当該個人を描くことはできない、というより、ぼくにはその数値から一人一人の「そのひと」を描くことができないみたいです。

ですから、これからは今までのコンセプトは意識せず、ただのブログにしてしまおうかと思います。ブログのタイトルも変えました。
自分が人生で、大切にしている言葉です。
"NOW OR NEVER. TODAY OR TO DIE."
「今やらなければ、一生できない。」
「今日やらなければ、死ぬまでできない。」
いつこのフレーズを聞いたのか、知ったのか、もう覚えていないのですが、ずっとぼくの頭の中にあって、何かチャンスに巡りあったとき、やりたいことが見えてきたとき、意識している言葉です。

このフレーズからパッと想起されるような、大きなことや頭おかしいようなことをやったことは、恥ずかしながらありません。ですが、何か新しいことに挑戦する気持ちや、将来が普遍に安定的に存在し得るものと捉えないようになったのもこのフレーズのおかげな気がします。停滞ではなく変化し続けることを目指す姿勢というか。





人間が変わるための三か条。大前研一さんの有名なものがありますよね。ぼくはその三か条の最後、「もっとも愚かなことは決意を新たにすることだ」は、上記フレーズと同じことを言っていると思っています。

変化が必要なときにその変化をすぐに起こせるかどうか。Make It Happen の精神がすごく大切なんだと。

付き合うひとも、住む場所も、頻繁に変えることはできません。
だから、小さなことから少しずつ変えていくことだと大切だと思うんです、自分の人生を楽しく、豊かなものにしていくためには。朝早起きしてみたり、夜ハーブティーを飲んでみたり。そしてもっと言うと、今の「環境」は変えずに、自分の視点を変えることによってその「環境の見え方」を変えて、「環境」が変わったように「感じる」ことだってできます。

何か不満があったり、嫌なことがあったり、気分が乗らないことがあったら、いま、この瞬間から、何かを変えてみる。いま眼前にあるクソッタレな現実を変えることができないなら、一生できない。死ぬまでその現実の下僕で居続けるしかない。

"NOW OR NEVER. TODAY OR TO DIE."

人生を楽しいものにしていきましょう。

2012年6月16日土曜日

[English] Westernization & Capitalism (欧米化と資本主義)

*追記*
この元ネタとなる会話をしたスティーブンからのコメントがコメントにあります。
よろしければそちらもご覧頂ければ幸いです。




Hi,

I'm writing what I have talked with Steven from Miami.
I hosted Steven on last weekend. He contacted me on CuchSurfing, and we finally met each other at that time. The topics we have talked and discussed were covered a wide range of things, but the main one was about westernization & capitalism. The discussion was interesting enough to let me think more deeply.

(今日は先週末にマイアミから日本に来ていたスティーブンと話したことについて書きたいと思います。カウチサーフィン経由で連絡があって2日間ホストしたんですが、本当にいろいろな話をしました。その中で一番盛り上がったのが欧米化と資本主義についてでした。)


First, Steven said "I hate McDonald, Burger King, Starbucks, etc., in other countries." I think this opinion is a little bit common because some of my foreign friends have the same opinion.For instance, they don't want to make Japan changed by other countries. This is their hatred, westernization.
Westernization we use here is that western profit companies tap into other countries for their businesses.

(スティーブンは「他の国にあるスターバックスやマクドナルドが嫌いだ」と言っていました。この意見はほかの外国の友人からも聞くことがあり、ある程度一般的ではあるのでしょう。例えば、日本という国が外人によって変えられたりするのが嫌なわけですよね。ここでは、こういう欧米のものが他の国の市場に入ってくることを、欧米化とすることにします。)


Some of my friends who have traveled around developing countries, including me, got shocked with Starbucks, McDonald, and so forth located there, and felt like cultures originated from each country would get obsoleted instead of prosperity of boring cultures from western countries. These profit business could take interesting traditions and cultures out of this world. However, we like traits each country has and we'd love to meet them. We don't wanna have coffee at Starbucks in Ethiopia. We wanna sip coffee produced by local people at a local place. We wanna taste each country itself.

(ぼくを含め、欧米以外のどこかの国を旅したことのある人たちは現地にあるスタ-バックスやマクドナルドに驚きます。そして欧米文化が浸透する代わりに、現地の文化がなくなってしまうのではないか、と感じてしまいます。ぼくたちはエチオピアでスターバックスのコーヒーが飲みたいわけではなく、そこで生産加工されたコーヒーをその国を感じられる場所で飲みたいわけで。その国自体を楽しみたいわけで。)


Of course, we know the purpose which profit companies are keen to achieve, which is maximizing these profits. Our world has been going around on capitalism. I think capitalism is the best system to enrich us materially so far. People living in developing countries are keen to get such abundance and to get western cultures regarded as a cool thing. Profit companies keep expanding their business all over the world. This is a big match. But still, we hate this trend.

(もちろん、営利企業の目的は知っているし、この世界は資本主義の元で回っているし、資本主義は今のところぼくたちを豊かにするシステムだとも思っております。新興国の人たちは豊かになりたいと思っているし、欧米文化をかっこいいと思っていて、企業はビジネスを世界展開させて利益を上げたいと思っている。バッチリです。それでも、この流れが好きになれないんですね。)


I'm just wondering whether we are arrogant or this trend is arrogant.
We wanna keep unique countries unique for our favorite.
People living on capitalism wanna changed unique countries to big markets for their businesses.
I heard that, in Japan, this discussion had occurred when convenience stores tried tapping into local areas from metropolises. And it turned out this world as you can see.

(そこで思うんですよ。ぼくたちが傲慢なのかこの流れが傲慢なのか。変化させたくないぼくたちと、変化させたい人たちと。でもひとつ聞いたのは、昔コンビニが地方に進出しようとしたときもそういう論争があったらしいということ。そしてその後どうなったかというと、ぼくたちが見ているこの世の中のようになったわけです。)


What do you think about this?
Any comment would be welcomed and appreciated.
Thanks.

(みなさんはどう思われますか?コメント残してもらえたら嬉しいです。ありがとうございました。)


2012年6月11日月曜日

自分らしさとは何か


先日、こんなツイートを見かけた。

『自分らしさを大切にするのもいいけど、自分らしさを言い訳にして苦しいことから逃げたりしてほしくないよね』

細かいことは覚えてないけど、だいたいこういう趣旨だったと思う。
みなさんはどう思われるだろうか?

自分らしくあることは、何かから逃げ出したいという気持ちを誘発するものなのだろうか。
自分らしくあることは、頑張らないこととイコ-ルなのだろうか。

上記の意見に対して自分がうじうじつぶやいていたところ、
友人がこんなことを呟いていた。

『自分の願望と他者からの期待の中で葛藤する人が多いような気がしていて、その葛藤から抜けだしている人が自分らしく生きてる人なんじゃないの』

ぼくはまさにこれだなと思った。
つまり、自分らしいと呼べるような特定の性質があるわけではなく、
ただ自分が思うように生きること、
その生き方そのものが自分らしさなのではないか、ということ。


この考え方から、世間的な「自分らしさとは」に対して言いたいことは2つ。

(1)自分らしいから、らしくないから、苦しいことから逃げるとか逃げないとか、そういうものは一切ない。

自分らしくいることは決して頑張る頑張らないに影響を受けない。
生き方そのものだけが自分らしいかどうかを左右する。
上記ツイートは「苦しいことでも頑張らないといけない」という特定の価値観を背景に成り立っている意見だし、むしろこの意見に迎合して頑張ろうとしてしまうことの方が、自分らしさがない状態だ。


(2)自分らしさは自分のスキル、好み、そのほか特徴と結びつくものではない。

仮に自分らしさが上記のような生き方そのものでないとして、自分の末節の特徴を自分らしさと結びつけようとしても、それが本当に自分らしいのかどうかは一生わからないはずだ。証明仕様がない。だから、自分探しはするようなものでもない。敢えて言うなら、自分を騙し続ける必要はあるかもしれない。
自分らしく自分が思うように生きるためには、『「自分はこれがしたい、こうありたい」という願望が本当のものなんだ』と自分を信じこませるのだ。

そんなことを考えた日曜日。

2012年5月26日土曜日

[TED][English] How to buy happiness

Hi,

I'm writing this blog post in English first time in a half year.
Today, I'd like to introduce you one TED talk regarding happiness.
Here is the video entitled "How to buy happiness".



Actually, this video ends up commercial stuff. The speaker seems to have something to do with a donation service.
However, this topic is so controversial and it will be interesting to discuss about.

The point is to spend money to the other makes us happier than to spend money to ourselves.

He illustrated above by doing one experiment, which the speaker gives money to some people and tells "Spend this money ($5) on yourself.", and to others "Spend this money ($5) on somebody else.". He asked respondents how happy you are before and after the experiment, and tried to measure how their happiness changes.

In the result, people who spent the $5 on somebody else got happier than people who spent $5 on themselves even if a thing he/she spent money to was the same, i.e., people who spent the money to buy coffee at Starbucks for somebody else got happier than people who spent the money to buy coffee at Starbucks for themselves.

What do you think about this?

When I watched this video, it hit me that 1) the way to measure happiness should be opened, otherwise, we can't tell if the "happiness" he said is really "happiness" we think, and, 2) this experiment can show us correlation between spending money to others and getting happy, but that can show us only correlation, not cause and effect.

As for 1), it is fine because they don't need to do disclose the method to measure happiness because that video did include advertisement, and he didn't have time enough to show it out.

As for 2, I don't think this experiment can show us cause and effect between spending and happiness. For example, spending money on somebody who each respondent is familiar with may work well, but spending on somebody who each respondent is not familiar with may not work.

In addition, the respondents got money which should be spent on by he experiment side, but we can't get money like this way as you know. I guess only people who have leeway can spend money on someone else without any personal greed.

This sort of topic is very very interesting, but most of experiments are often questionable. I usually enjoy to think and discuss though.
Should you have any opinion, please leave your comment here.

Thanks!

2012年4月30日月曜日

記憶に残っている、良書だと思う本28冊

なんとなくブクログを振り返っていて、良書だったと思うものをまとめてみました。 ブクログはじめる前に読んだ数々の本たちはほとんど忘れ去られてしまっているのでここ数年、特にここ1年に偏っているのですが、なにかしら読む価値はあるとおもいます!



トーマス フリードマン
日本経済新聞出版社
発売日:2008-01-19





トーマス フリードマン
日本経済新聞出版社
発売日:2008-01-19

・これが2005年に出版されたというのが衝撃だし、2000年問題のときにこんな大規模なアウトソーシングが行われていたことも衝撃。

・この本の中で起こっていることが、実際に起きていることを働き始めて強く実感している。世界規模だけでなく国内でも、産業構造の変化がテクノロジーによって起きていて、常にテクノロジーの進捗を見て、将来起こり得る変化の可能性を予測していないと、気づいたときに遅いってことが本当に起こってしまう。

・自分視点でも、会社視点でも、事例を交えながら読むことで腹落ちする部分はあります。


・ちなみに上巻のほうが面白いですね。上下巻の本にありがちですが。








え?っと思う発言やデータもあるけど、基本的には日本の子どもを育てることに対する補助がどれだけ少ないかがわかる良書だと思います。

金銭的な問題だけじゃなく、子どものやる気や努力などの研究についても言及しているところが信頼おけました。

自分の中で今一度中身を整理しておきたいです。




3.11が起きたこのタイミングで読むことになったのは何かの縁なのだろうか。原子炉が引き起こす災難がどれほどひどいものなのか、人間の力がどれだけ小さいのか、身に染みる。

原子炉に限らず、世の中には思いも寄らない事件が起きる。
そういった不確実性に対して自分自身がどうやって向き合いくのか、対処の仕組みとしてどういった枠組みがいいのか、考えなければいけないと思う。




ヨーロッパ、殊イギリスの発展のウラ事情が書かれている本。歴史を紐解いてみると、いまの世界の形とその起源のギャップに驚かされる。
・海賊が王家と密接に繋がっていたこと
・略奪と貿易という2つの機能を海賊が果たしていたこと
・スパイス、コーヒー、お茶、砂糖と黒人奴隷、という貿易の大きな流れがあったのがメインの学び。

そこから派生して、
・奴隷貿易を含めた貿易でも受けたお金から、蒸気機関を発明したワットへの投資となっていた可能性というのは、今後の世界の動きというところで見ると、考えておかないといけないテーマだと思う。

・スパイス、コーヒー、お茶、砂糖と黒人奴隷、のどれもが、先進国ではない国々に起源があるということも、考えさせられる。ついつい今の世界のイメージでモノを見てしまうけれど、世界にはそれぞれの国の誇りがたくさんある。

・実はヨーロッパの新興国などに対する寄付文化や貢献活動は、過去のアジア諸国、西アフリカなどに対する罪に対する償いという側面もあるのだろうかと思ったり。

・イギリスがそもそも弱い国だったこと、スペインとポルトガルが大国だったこと、現状と反対で驚いてしまった。

・そしてイギリスという国が這い上がっていく、その始まりとしての16世紀は最高に面白い時代だっただろうと思った。やっていることが犯罪とは切っても切り離せないけれど、限られた資源でどうやって勝っていくかという考え方は、ビジネスでも大切なことで、ワクワクする。こんな昔から、国の外に飛び出していくひとたちがいたのも感激!スケールが小さくても、ドレークやホーキンズのように一旗上げてやる!という気持ちになった。




シーナ・アイエンガー
文藝春秋
発売日:2010-11-12









ルディー和子
ダイヤモンド社
発売日:2005-09-01

一般に大局的かつ軽々しく語られがちな「マーケティング」について、過去の事例、具体的な商品や産業を持ち出して、非常にわかりやすく説明してくれる名著。マーケターになりたいひともにリサーチャーになりたいひとにもオススメです。「マーケティングの神話」とテイストは似てます(こちらはリサーチ寄り)。




ナシーム・ニコラス・タレブ
ダイヤモンド社
発売日:2009-06-19





ナシーム・ニコラス・タレブ
ダイヤモンド社
発売日:2009-06-19





ユン・チアン
講談社
発売日:1993-01-19

ワイルドスワン上巻がもうすぐ終わる。トーホンの両親は素敵だ。礼儀と知性をベースにあとは自由放任。威厳はあるけど、親しみもある、そんな親になりたい。

ワイルドスワン上巻半分越感想:とにもかくにも、国を変える、世界を変えるってのはほんとに難しいんだろうな。以上。

ワイルドスワン上巻半分越感想:こういう変化が宗教的な反感も特になく起きてるなら、やっぱり国が変わっていくためには上からの押し付けじゃない自発的なボトムアップ式なのかなと。そこには強制的な政府とかの力よりは企業みたいな商業的関係の力が絡んでる。全部が全部ではないだろうけど。

ワイルドスワン上巻半分越感想:個人の価値観とかならまだしも、規則や慣習、宗教みたいな大義的なものによって形成された価値観はある種質が悪い。でも実際例えばカンボジアなんかでも都市部は女性が肌を露出するようになってきてる。海外の様子をキャッチした若者からボトムアップ式に変化してるぽい

ワイルドスワン上巻半分越感想:あと怖いなと思ったのは宗教でも慣習でも規則でも、その枠組みが絶対正義になっちゃうこと。守るべきものではあるけど、全く疑わなくなると良い方向への変化はそこで止まる。まぁ口で言うのは簡単なんだけど。

ワイルドスワン上巻半分越え感想:感情面でみればやっぱり母の味方になりたいけど、確かに父の言い分もわかる。で上を下げて下に合わせるってのは精神衛生上よくないかな。下にいる人からしたら上がいなくなることですっきりするけど、元上の人からしたらどう考えても嫌でしょ。負の感情ばっか。

ワイルドスワン上巻半分越えた。従来の習慣を変えることや革命時の負の感情をどう取り除くかってことはほんとに難しいんだなと感じる。規則とか習慣っていう枠に感情が絶対セットになるから。




ユン・チアン
講談社
発売日:1993-01-19

ワイルドスワン下巻半分読了。1960年代後半でこれはひどい。血生臭い革命だなと読み進めて行くたびに思うけど、人間の本性というか根底にあるものってこういう汚い残酷なものなんだろうな。

ちょうど今読んでるワイルドスワンにあった毛沢東時代の描写が、意図は違えどこの現代でも起きてるのかと思うとぞっとする。→教師が生徒にひざまずき波紋、当の本人は「効果があった」と納得顔。

ワイルドスワン下巻:「ありがとうはブルジョア的」って…独裁、革命、そういう急進的なもの本当に怖い。

ワイルドスワン下巻:まだ読み始めたばかりだけど、階級敵人 、反右派闘争の次は走資派、紅衛兵と、毛沢東の酷さに拍車がかかってる。こんなのが1960年代に起きてたと思うとぞっとするわ。












丸山 真男
岩波書店
発売日:1961-11-20






















アクセル ハッケ
講談社
発売日:1996-10-18

中学の頃に両親からもらった本の一つ。
引越しのときにいつも持ってきてしまう本。




祖母がくれた本。ほこっとします。
















貫 成人
ナツメ社
発売日:2001-06











ここにある本以外でもきっと良書はあったんだろうけれど、内容や受けた印象を思い出せない本も多数あり・・・。 量ではなく質を高める読書をしたいなと思いました。